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さぬちゃんの麻酔科医生活


それぞれの麻酔科学会 〜学会についての一考察

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日本麻酔科学会第63回学術大会が平成28年5月26日(木)〜5月28日(土)に福岡市で開催された。管理人も参加したので、ちょっと感想を書き留めておこうと思う。唐突ではあるが、重要な順に記載していく。

 まず、この学会に行って最も大きな収穫だったことは、帰り際に併設書店に立ち寄って麻酔科学書籍とともに購入した”1冊の本”に出会えたことである。この本が、一般書店に並んでいたならば、おそらく買わなかったのではないかと思う。決して、学会長が執筆された本だから、ヨイショしているわけではなく、本心からすばらしいと思うのだ。購入したその日のうちに、一気に読んでしまった。いずれをとっても歯切れが良く、麻酔科医に求められる態度としては大納得のことばかりである。態度について言葉として表すのは、難しい。表せたとしても、内容や構成によっては反感を買ったりイヤミになったりするものであるが、本書には、そんな部分はみじんもない。言葉の選び方、たとえ方、論理の展開、いずれをとっても誠実な感じが溢れ出ている。ふだんから様々なことを深く考えられていること、何気ないことにも気を配っておられる証拠であろう。麻酔科医であるならば、いや、医療に従事しているならば必読の書籍としてオススメしたい。

 

麻酔科医に求められる態度―麻酔科医ノート〈Part4〉

麻酔科医に求められる態度―麻酔科医ノート〈Part4〉

 

 

つぎの収穫は、ロビー活動でのことだろう。出版社の方、機器メーカーの方と、廊下、展示会場、すれ違いざまにディスカッションやアドバイス、ご意見をいただいた。夫々、短い時間ではあるが、私にとっては頭の中が整理されていき、いま自分の中に抱えているさまざまな問題点について、どう行動すべきかのヒントが見つかった。

 残念だったことについても記載しておこう。一番残念だったのは、今回から、専門医取得のための単位を学会講演の出席で行うようになったことである。そのせいか、いつもはこんなにいないはずの聴衆が、講演会場の入り口に集積し、講演開始時刻に影響を与えたこと。出席の前後で、非接触型のカードをタッチする必要があったこと。これこそが、入口、出口の渋滞を引き起こした原因であろう。タッチするために一人一人が立ち止まるため、スムーズに列が流れないのだ。せめて、RFIDなどでゲートを通過するだけで出席を判定できるシステムを導入いただきたい。それができないのなら、講演と講演の間に移動時間や受付時間を設けるべきである。

 出席をとる講演と出席をとらない講演の間に、集客力のちがいが明かであったことが非常に残念に感じられた。また、すべてとは言わないが、出席をとる講演に限って内容がつまらない、プレゼンが下手な傾向が見られたことは、多くの方の同意を得た事実である。すべての講演を専門医認定の単位として認めれば、このようなことは無くなるであろう。さらには、つまらない講演かどうかの評価を出席者全員に求めれば、次回からはその演者を積極的に採用することはないであろう。

 次に残念だったのは、いつもにも増してポスター会場の聴衆が極端に少なかったことであろう。これは、座長にでも観客数を報告する義務を追わせる、あるいはRFIDなどで集客をカウントすれば、どのセッションが活発でなかったのか、集客がすくなかったのかがわかるだろうし、全体としてのポスター発表の参加人数も把握できると思う。それは、必要ないと学会側が考えられるのであればもっと残念なことである。

 私事であるが、残念だったことが2つある。一つは、生涯ではじめて講演のスライド作成の3つが、”完全”現地生産になってしまったことである。これは、とてもひやひやした。学会前に、予定が山積みでスライドを1枚も作ることなく福岡入りしてしまった。けっしてサボって作らなかったわけではなく、体力的、時間的に作れなかったのである。このような完全現地生産は、二度としたくないと思った。もう一つは、後輩の発表中に、セボフルランに鎮痛作用があると連呼していたことである。セボフルランには鎮痛作用はない。セボフルランを使っている場合、TIVAに比較して体動をおこしにくいのは痛くないからではなく、脳よりも下位の中枢神経系(脊髄などの経路)にも効いているからであろう。吸入麻酔のMACは、痛みの指標ではなく体動の指標である。

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 まとめると、今回の日本麻酔科学会期間中は、充実した日々が過ごせたと感じている。毎年、思うことであるが、学会に行く麻酔科医と学会に行かない麻酔科医、どちらがよい麻酔科医になれるか。答えは、言わない。同じ質問を外科医に投げかけて、どちらに麻酔をかけてもらいたいかを問うてみて欲しい。

 

 本記事のテーマは、それぞれの麻酔科学会というものである。要するに、学会の楽しみは学会に行って講演や発表を行ったり、聴いたりすることにあるのではない。学会が楽しいのは”それ以外の出会い”があることである。出会いは、人であったり、ものであったり、考え方であったりする。それは、決して学会に行かなければ生まれないことである。”学会会場内エリアでないところにのみ”楽しみがあると思っている麻酔科医もいるかもしれない。それはそれで、人との出会いを楽しむ、人の考え方を聞くという点で大きな意義がある。

日常のルーチンな仕事から離れて、学会という特別な場所、特別な時間のなかで、何に感動し何に感銘を受けるかは、個人個人によって異なると思う。そして、それには個人個人の感性というものが大きくかかわっている。つまり、学会の楽しみに気づかない、気づけないというのは、如何にふだんから何も考えていないか、何も感じない生活をしているということだと思う。学会にいって何かを得ようと考えるのは、通常の感覚である。ふだんから、何気ないちょっとしたことにでも楽しみを見つけられる人は、学会を楽しむのは得意ではないかと思う。