masuika.org つれづれぶろぐ

さぬちゃんの麻酔科医生活

麻酔薬投与開始前の「3分間の酸素投与」してますか?

事件は現場で起きていた

とある施設でのこと。 導入担当の先生が麻酔器の前に立ち、いよいよ麻酔開始という場面でした。

…あれ? よく見ると、マスクでの酸素投与をスキップして、いきなり静脈ラインからレミフェンタニルとプロポフォールが流れ始めたんです。 「え、ちょっと待って、前酸素化(脱窒素)は…」と心の中で叫ぶさぬちゃん。 でも時すでに遅し。患者さんの呼吸は止まり、30秒も経たずにパルスオキシメーターの数字が急降下。SpO2 90%をしたまわってアラームが鳴り響き、上級医が飛んでくるという、まさに「あるある」な光景を目の当たりにしました。

「ああ…やっぱりそうなるよね」と思ったあなた。私の仲間です。 この「3分間の酸素投与」の意味とエビデンスについてつれづれに考えてみたい。

なぜ3分間の酸素投与が必要なのか?

麻酔薬を入れると、多くの場合、自発呼吸が止まります。そして気道確保をして人工呼吸を始めるまでのあいだ、患者さんは無呼吸状態。 この無呼吸の時間を安全に乗り切るための“貯金”をつくるのが、プレオキシゲネーション(前酸素化) です。言い換えれば、肺の中を空気中の窒素を追い出して、酸素で満たしておく方法。これを怠ると、貯金ゼロで無呼吸に突入するので、すぐに低酸素になってしまいます。

体内に貯まる酸素のハナシ

カラダの中で酸素を蓄えられる場所は、肺(とくに機能的残気量:FRC)と血液中(ヘモグロビンや溶解酸素)だけ。成人のFRCは約30 mL/kgなので、体重70 kgだと約2,100 mLの空気が肺に残っています。空気(酸素21%)のままなら、その酸素量はたったの

2,100 mL × 0.21 ≒440 mL

安静時の酸素消費量は約250 mL/分ですから、計算上は1分ちょっとで肺の酸素は底をつきます。実際、前酸素化なしの安全無呼吸時間(SpO2 90%まで)は、健常人でも 1〜2分 しかないと言われています。

そこで、100%酸素を3分間吸ってもらうと、FRC内の酸素濃度が90%前後まで上昇。同じ計算で肺内酸素量は

2,100 mL × 0.9 ≒1,890 mL

なんと酸素貯金が約4倍に! 無呼吸になっても健常人なら約8分はSpO2を保てる計算になります。これが「3分の酸素投与」の根拠。言うなれば、カラダの中に酸素ボンベをしこむようなものですね。

※ あくまで“ざっくり概算”です。厳密には肺胞気には二酸化炭素や水蒸気が含まれるので、肺胞の酸素分画は肺胞気式で計算するともう少し低くなります。「だいたいこのくらい貯まる」というイメージです。

ちょっとエビデンスを

  • Benumofらの古典的シミュレーション研究(Anesthesiology 1997)[1]
    これは実測ではなく、生理学モデルから無呼吸時の脱飽和を試算した有名な研究です。100%酸素で十分に前酸素化した健常成人が無呼吸になってからSpO2 90%を切るまでの時間を 約8分 と算出。同じモデルで中等度の合併症をもつ成人は約5分肥満患者は約2.7分 と、条件が悪いほどガクッと短くなることも示しています。あの「8分」という数字の出典は、実はこの1997年のモデル研究です。
  • Difficult Airway Society(DAS)ガイドライン[2,3]
    DASは2015年版[3] の時点で「全例、全身麻酔導入前に前酸素化を行うべき」と明記し、目安としてEtO2 0.87〜0.9(87〜90%)を示していました。そして2025年に大改訂された最新版[2]では、フェイスマスクによる前酸素化の効果判定として、一般にEtO2≧0.9(90%) を目標とすることがはっきり書き込まれました。ここでひとつ、大事なニュアンス。この「≧0.9」は“全例で必ず90%まで上げろ”という必達ラインではなく、あくまで「一般的に!フェイスマスク使用時に目指す目標値」です。HFNO(高流量鼻カニュラ)を併用するとEtO2モニタリング自体の信頼性が下がるため、この数値をそのまま当てはめられません[2]。さらに肥満や妊婦では、手を尽くしてもフェイスマスクで90%に届かないことがあり、その場合は「到達可能な最高のEtO2」を狙うのが現実的な落としどころです。つまり、“前酸素化の実施”は全例マスト、“EtO2 ≧0.9”はフェイスマスクでの目標"と分けて押さえておくと正確です。 ちなみにDAS 2015[3]の本文には、「健常成人の安全無呼吸時間は室内気で1〜2分、前酸素化で8分まで延長できる」という、まさに今日の話そのものの記載もあります(出典はBenumof[1])。
  • 肥満・妊婦では要注意
    FRCが小さく酸素消費量も多いため、しっかり前酸素化しても安全無呼吸時間が短くなりがち[1]。そういう患者さんほど「マスク3分」の重みが増します。緊急帝王切開の現場などはまさにここが勝負どころです。

実践での「さぬちゃんポイント」

  • “時間”より“EtO2”で判断する時代。「3分」はあくまで目安。EtO2モニター(通常のEtCO2モニターではEtO2も表示できる)が使えるなら、3分という時間ではなく EtO2が0.9(90%)に到達したこと をエンドポイントにするのが、いまのDAS推奨[2]です。逆に時間に余裕があれば5分かけてもOK。ただし“全例で90%”という意味ではなく、肥満・妊婦などで届かない患者では、到達可能な最高値を目指せばOKです。
  • マスクの密着が命。リークがあると室内気が混ざり、EtO2が上がりません。両手でしっかりホールド、もしくはストラップの併用を。新鮮ガス流量も十分に(少なくとも分時換気量を下回らないように)流しておくと、より短時間で高いEtO2に到達できます[4]。
  • 時間がないときは深呼吸法最大吸気・呼気(vital capacity breath)を60秒間に8回行うと、3分間の通常換気とほぼ同等の前酸素化効果が得られると報告されています[5]。導入を急ぐ場面で覚えておくと便利
  • 肥満患者はポジショニングで稼ぐ。仰臥位より 25°の頭高位(ベッドアップ) で前酸素化したほうが効果が高い、というRCTがあります[6]。FRCが稼げない患者ほど、頭を起こすひと手間がものを言います。
  • アプネイックオキシゲネーションとの合わせ技。無呼吸中に鼻カニュラで酸素を流しておく「無呼吸時酸素化(apneic oxygenation)」を併用すると、安全時間がさらに延びます。15 L/分の経鼻酸素でも延長効果が示されており[7]、高流量鼻カニュラ(HFNO)を使う THRIVE[8]では、困難気道の患者でも無呼吸時間を大きく延ばせることが報告されています。余裕があれば併用を。

まとめ:貯金してから飛び込め!

誰でも忙しさや思い込みで「まあ大丈夫でしょ」とやってしまいそうになるのが、この3分間の酸素投与を省略してしまうこと。実際、低酸素になってからでは手遅れで、上級医の雷が落ちるだけで済めばいいほう。患者さんの安全を守るためにも、麻酔薬投与の前には必ずプレオキシゲネーションを習慣にしたい(導入前タイムアウトで確認しても吉)。

3分間、ただマスクを当てている時間」が、あなたと患者さんの保険です。 そしてEtO2モニターがあるなら、ぜひ“数字(≧90%)”で確認するクセを。いつも安全な麻酔を。セコムしてますか?という長嶋茂雄さんのコマーシャルを思い出すさぬちゃんでした。

では、また

参考文献

  1. Benumof JL, Dagg R, Benumof R. Critical hemoglobin desaturation will occur before return to an unparalyzed state following 1 mg/kg intravenous succinylcholine.
    Anesthesiology. 1997;87(4):979-982.
    DOI: 10.1097/00000542-199710000-00034
  2. Ahmad I, et al. Difficult Airway Society 2025 guidelines for management of unanticipated difficult tracheal intubation in adults.
    Br J Anaesth. 2026;136(1):283-307. (オンライン先行公開 2025年11月6日)
    DOI: 10.1016/j.bja.2025.10.006
  3. Frerk C, et al. Difficult Airway Society 2015 guidelines for management of unanticipated difficult intubation in adults.
    Br J Anaesth. 2015;115(6):827-848.
    DOI: 10.1093/bja/aev371
  4. Nimmagadda U, et al. Preoxygenation with tidal volume and deep breathing techniques: the impact of duration of breathing and fresh gas flow.
    Anesth Analg. 2001;92(5):1337-1341.
    DOI: 10.1097/00000539-200105000-00049
  5. Baraka AS, et al.  Preoxygenation: comparison of maximal breathing and tidal volume breathing techniques.
    Anesthesiology. 1999;91(3):612-616.
    DOI: 10.1097/00000539-200105000-00049
  6. Dixon BJ, et al. Preoxygenation is more effective in the 25 degrees head-up position than in the supine position in severely obese patients: a randomized controlled study.
    Anesthesiology. 2005;102(6):1110-1115.
    DOI: 10.1097/00000542-200506000-00009
  7. Weingart SD, Levitan RM. Preoxygenation and prevention of desaturation during emergency airway management.
    Ann Emerg Med. 2012;59(3):165-175.e1
    DOI: 10.1016/j.annemergmed.2011.10.002
  8. Patel A, Nouraei SAR. Transnasal Humidified Rapid-Insufflation Ventilatory Exchange (THRIVE): a physiological method of increasing apnoea time in patients with difficult airways.
    Anaesthesia. 2015;70(3):323-329.
    DOI: 10.1111/anae.12923

諏訪邦夫先生の思い出

諏訪邦夫先生。麻酔科の若い先生方には、もうなじみの薄い先生かもしれない。けれど、いまわたしがこうしてブログを書き、本を書き、論文を書いていられるのは、まちがいなくこの先生のおかげなのである。

昭和天皇の麻酔をされた先生

ご存じない方には、こう言ったほうが通りがいいだろう。

1937年、東京のお生まれ。東大医学部からマサチューセッツ総合病院、ハーバード、カリフォルニア大学、東大助教授を経て、帝京大学・帝京短期大学の教授をつとめられた。そして1987年、昭和天皇の腹部手術。当時の東大麻酔科・沼田克雄教授とともに、硬膜外麻酔併用の全身麻酔を担当された。日本でまだ硬膜外併用が一般的でなかった時代に、これがその後の普及の大きなきっかけになったと、麻酔の歴史にしっかり名前が刻まれている。

余談だが、実際にあの硬膜外穿刺をしたのは沼田先生だった、と諏訪先生はご自身のブルーバックス『麻酔の科学』に正直にお書きになっている。手柄を独り占めしない。こういうところが、いかにも諏訪先生らしいのだ。

わたしにとっては「コンピュータと文章の師匠」

わたしにとっての諏訪先生は、天皇陛下の麻酔の先生、ではない。コンピュータと文章の師匠だ。先生のご著書『パソコンをどう使うか』(中公新書)はベストセラーになり、医師やナースのためのパソコン入門、文献検索と整理、発表の技法、論文の書き方……と、実用書を次々に書かれた。1997年には、テキストデータ中心の「電子版麻酔科教科書」(文字化けするので文字コードをShift_JISに要変更)をインターネットに公開されている。ネットがまだ珍しかった、あの頃に、である。いま思えば、わたしがいまだに飽きずに続けている「IT」「文献管理」「文章術」というテーマは、ぜんぶ諏訪先生の本に種をまいてもらったものばかりなのである。

「Monitor World」へのお誘い

その先生に、若いころ、声をかけていただいた。Monitor World(モニターワールド)という抄録集だ。これには、日本麻酔・集中治療テクノロジー学会(JSTA)と日本麻酔科学会の後援がついている、海外のモニタリング関連文献を抄訳・抄録した文献集。1993年に始まり、CD-ROMで配られ、やがてWEBになった。パソコン通信のにおいがまだ残る時代である。あの抄録集に「やってみないか」とお誘いいただいたときの、うれしさといったらなかった。

そのおかげで、英語文献を読んで、まとめる力がついた。

 

日本麻酔科学会ソフトウェアコンテスト

学会、とくに麻酔・集中治療テクノロジー学会(JSTA)の会場でも、ほんとうにかわいがっていただいた。また、JSTAの会員が多数参加した日本麻酔科学会ソフトウェアコンテスト

は、忘れられない。いまの若い先生には想像しにくいかもしれないが、当時は麻酔科医が自分でプログラムを書き、自作のソフトを持ち寄って腕を競う、そんな場があった。フロッピーディスクやMOにソフトを詰めて会場へ持ち込んだ時代だ。麻酔記録、薬物動態のシミュレーション、ちょっとした計算ツール……みんな「これがあったら現場が楽になる」を、思い思いに形にしてきた。

わたしも1992年ごろから、毎年のように出品した。ありがたいことに、最優秀賞をいただいたこともあるし、優秀賞は何度も頂戴した。いま薬物動態シミュレータやモニタリングのツールづくりを性懲りもなく続けていられるのも、もとをたどれば、このコンテストに行き着く。

そして、その会場でいつも温かいまなざしを向けてくださったのが、諏訪先生だった。いま振り返ると、あれは先生がつくってくださった「若い者が腕を試す場」だったのだと思う。どんなにつたないソフトでも、頭ごなしに否定することなく、にこにこと興味深そうに見て、声をかけてくださる。その一言が、どれだけ次の年への励みになったことか。

やさしく書く、ということ

文章もそうだ。わたしがブログや本で、なるべくやさしく、くどくど飾らずに書こうとするのは、諏訪先生の文章がいつもそうだったからだ。

むずかしいことを、むずかしいまま書かない。読む人のことを、いつも考える。

先生の本を読み返すたびに、いまでもそっと叱られているような気がする。

テクノロジー学会でいきいきと活躍されていた、あの頃が、ほんとうに懐かしい。

 

硬膜外フェンタニルとPONV──「階層化」で考える予防と治療

硬膜外フェンタニルシリーズ第3弾は、 PONV(術後の悪心おう吐)対策です。

「硬膜外入れてるのに吐く」 「フェンタニル使ってないのに気持ち悪がる」 「とりあえずオンダンセトロン入れとけば?」

このあたり、なんとなくの経験則で動いている人は多いはず。 しかし、PONV は世界的にきちんと階層化と多剤併用のガイドラインが整備されている領域。対応は、なんとなくエビデンスから遠いところに行ってしまいます。

今日は、Apfel スコアと 第4版 PONVコンセンサス・ガイドライン(Anesth Analg 2020)を骨格に、硬膜外フェンタニル特有の論点を交えて整理します。

なぜ硬膜外フェンタニルで PONV が起きるか

まず原理から。 [シリーズ第1回] で書いたように、硬膜外フェンタニル(特に持続投与)は、脂溶性が高いため硬膜外腔から血管へ素早く吸収され、最終的に 静注と同等の血漿濃度 に達します。

PONV は中枢性・・・・延髄の chemoreceptor trigger zone (CTZ) にある μ-オピオイド 受容体を介して引き起こされる現象なので、

硬膜外フェンタニル(持続)の PONV リスクは、薬物動態的に静注オピオイドのそれと同等

と考えるひつようがあります。「硬膜外だから PONV 減らせるはず」という思い込みは、フェンタニルに関しては成立しません!

(対照的に、硬膜外モルヒネは髄液移行してから脳室周囲の オピオイド 受容体に上行するため、また別経路で PONV を起こす。これは別の話。)

まずは患者を「階層化」する──Apfel スコア

PONV 対策の世界標準は、20年以上前に Apfel CC らが出した4因子の簡易リスクスコア[1]。 PubMed によれば、Anesthesiology 1999 のこの論文で、次の4つの独立リスク因子が示されました。

Apfel スコア(各1点)
女性
PONV または動揺病の既往
非喫煙者
術後オピオイド使用予定

スコアと PONV 発生率の関係:

スコア PONV 発生率
0 約 10%
1 約 21%
2 約 39%
3 約 61%
4 約 79%

シンプルですが、臨床現場ではこれで十分に層別化できます。 「スコア2以上で予防的制吐薬を考慮」が伝統的な閾値です。

硬膜外フェンタニルは「術後オピオイド使用」にカウントするか?

これは現場でしばしば論争になるところ。 カウントすべき が私の立場です。理由は前述のとおりで、硬膜外フェンタニル持続は薬物動態的に静注と等価。元のスコア構築論文の「術後オピオイド」は実臨床における「あらゆる経路の周術期オピオイド曝露」を反映していると解釈するのが妥当です。

ということは──硬膜外フェンタニルを使う患者は、最初から Apfel 1点以上が確定。女性・非喫煙者・動揺病歴のいずれかが加われば、容易に 2〜3点に達します。

「硬膜外フェンタニル+成人女性+非喫煙」だけで Apfel 3点 = PONV 61% という現実を直視するところから始まります。

第4版 PONVコンセンサス・ガイドライン(2020)の枠組み

Gan らの 第4版 PONVコンセンサス・ガイドライン[2]は、PONV 管理を (1) リスク階層化 →(2) ベースラインリスク低減 →(3) 階層別予防 →(4) レスキュー治療 の4段階で整理しています。これはいまも世界標準。

Step 1. ベースラインリスクの低減(全例)

階層化の前にやれることをやる。ガイドラインが勧めるのは、

  • TIVA を選択肢に(吸入麻酔薬は PONV のリスク因子)
  • N₂O を避ける
  • 周術期オピオイドの最少化(NSAIDs・アセトアミノフェン・神経ブロック・局麻浸潤を最大活用)
  • 十分な補液(脱水を作らない)
  • 不要なネオスチグミンを避ける(スガマデクスへ)

これは「予防薬を足す前にやるべきこと」リストとして全例に適用すべき層です。 硬膜外フェンタニル使用例なら、オピオイド節減になっているか?を必ず点検するのが肝心。局所麻酔薬主体にして、フェンタニルは最小限に!という考え方は、PONV 対策の基本にもなっています。

Step 2. 階層別の予防薬選択

PONV リスク因子の数に応じて、予防薬の本数を増やします。 第4版 PONVコンセンサス・ガイドライン は「risk factor 1個につき制吐薬1剤を追加」という考え方を採用しています。

Apfel 推奨アプローチ
0〜1 点 通常は予防不要(ただしベースライン対策は実施)
2 点 2剤併用(例:デキサメタゾン+オンダンセトロン)
3 点 3剤併用(+ドロペリドール等)
4 点 4剤併用 + TIVA / opioid-sparing 強化

主な制吐薬の使い分け

第一選択クラス:

  • デキサメタゾン 4〜8 mg IV(導入時に。糖尿病でも 4 mg なら血糖影響は限定的)
  • オンダンセトロン 4 mg IV(術終了 30 分前。世界で最も使われる第一線)

第二選択クラス:

  • ドロペリドール 0.625〜1.25 mg IV(QT 注意、術終了時に)
  • メトクロプラミド 10 mg IV(エビデンスは強くないが汎用)
  • ハロペリドール 0.5〜1 mg IV

第三選択クラス:

  • アプレピタント 40 mg PO(NK1 受容体拮抗、24時間以上カバー、coverage が長いのが特徴)
  • パロノセトロン 0.075 mg IV(第二世代 5-HT3、半減期長く delayed PONV に強い)

非薬物:

  • P6 acupoint 刺激(リストバンドで簡便、エビデンスあり)

Step 3. レスキュー治療(予防失敗時)

ここが意外と知られていない原則。

6時間以内に投与した予防薬と同じクラスの薬は、レスキューに使ってはいけない。

例えば、術中にオンダンセトロンを予防で入れた患者が PACU で嘔吐したからといって、もう一度オンダンセトロンを入れるのは無効。違うクラス(デキサメタゾン、ドロペリドール、メトクロプラミド等)を使います。

これはガイドラインで明記されている重要なポイントで、研修医・PACU 看護師にも徹底したいところ。

硬膜外フェンタニル運用での実践レシピ

ここまでをまとめて、硬膜外フェンタニルを使う患者向けの実践プロトコルにします。

「硬膜外フェンタニル使用例」のデフォルト予防

Apfel 1点(=オピオイド)を最初から計上したうえで、女性・非喫煙・動揺病歴を加算

多くが Apfel 2〜3点に該当するので、2〜3剤併用がデフォルト

具体的な処方例:

Apfel 2点(例:男性・喫煙者・動揺病歴あり)

  • 導入時:デキサメタゾン 4 mg IV
  • 術終了時:オンダンセトロン 4 mg IV

Apfel 3点(例:女性・非喫煙者・硬膜外フェンタニル)

  • 導入時:デキサメタゾン 8 mg IV
  • 術終了時:オンダンセトロン 4 mg IV + ドロペリドール 0.625 mg IV
  • (婦人科・甲状腺など high risk 手術なら アプレピタント 40 mg PO 術前 を追加検討)

Apfel 4点 + 高リスク手術

  • 上記に加え、TIVA + opioid-sparing 強化
  • 場合により NK1 (アプレピタント) + 第二世代 5-HT3 (パロノセトロン) へ切り替え

硬膜外設計側でできる PONV 対策

これがこのシリーズの肝。鎮痛設計そのものを PONV を起こしにくい方向に振るのが最も効率的。

  • 局所麻酔薬主体・フェンタニルは少量:0.1〜0.125% ロピバカイン + フェンタニル 2 μg/mL あたり
  • 持続量を抑え、ボーラスで補う:Bernards 理論的にも、持続は低濃度・ボーラスで脊髄に効かせる方が opioid 総量を減らせる
  • 無闇に「効きが悪いから」と持続を倍にしない:カテーテル位置と局麻濃度をまず疑う(シリーズ第2回参照)

レスキューフロー(病棟・PACU 用)

研修医や看護師にそのまま渡せるレベルに整理しておきます。

 
 
PONV 発生
  ↓
予防薬を確認(6時間以内に何を使ったか)
  ↓
別クラスの制吐薬を選択
  ↓ 第一選択(予防に未使用)
    ・オンダンセトロン 4 mg IV
    ・デキサメタゾン 4 mg IV(初回未投与の場合)
    ・ドロペリドール 0.625 mg IV
    ・メトクロプラミド 10 mg IV
  ↓
改善しない場合
  ・硬膜外フェンタニル流量を半減 or 中止し局麻のみに
  ・原因検索(腸閉塞、低血圧、低血糖、脱水)

ポイントは、「制吐薬を足す」より先に「硬膜外フェンタニルを減らす」という選択肢を持っておくこと。 鎮痛が壊れずに opioid を引けるなら、それが一番。局所麻酔薬の濃度・流量を保てば、フェンタニルだけ減量しても鎮痛は維持できることが多いです。

まとめ:3つの行動原則

最後に、研修医にそのまま渡す3つの原則。

  1. 硬膜外フェンタニルを使う時点で Apfel 1点。最初から多剤予防を前提に考える。
  2. 2点以上は 2 剤併用、3点以上は 3 剤併用が世界標準(Gan 2020)。
  3. レスキューは「予防に使った薬と違うクラス」。同じクラスを6時間以内に重ねない。

PONV は、麻酔の質を評価するうえで患者満足度に直結します。 さらに ERAS / 早期離床の観点でも、PONV があると経口摂取・離床がすべて遅れます。鎮痛戦略を立てるときに、PONV 対策を後手で考えるのではなく、麻酔計画と一体で考えるのがプロの仕事だと思います。

硬膜外入れたのに吐くではなく、硬膜外を入れるからこそ吐かせない対策をする!

 

では、また。

文献

  1. Apfel CC, et al. A simplified risk score for predicting postoperative nausea and vomiting: conclusions from cross-validations between two centers.
    Anesthesiology 1999;91(3):693-700.
    doi:10.1097/00000542-199909000-00022
  2. Gan TJ,  et al. Fourth Consensus Guidelines for the Management of Postoperative Nausea and Vomiting.
    Anesth Analg 2020;131(2):411-448.
    doi:10.1213/ANE.0000000000004833

ECTの麻酔、点数はどう算定する? 令和8年6月改定

さぬちゃんです。

今日は精神科のmECT(修正型電気けいれん療法)の麻酔の診療報酬について、令和8年(2026年)6月改定をふまえて整理しておく。

ECTの麻酔って、プロポフォール(またはチアミラール)とスキサメトニウムでパッと数分で終わるよね。短時間だから「全身麻酔っていうより、深鎮静の鎮静料で取るのかな?」と迷う先生は意外と多い。

でも結論から言うと、何分で終わろうと、麻酔料を別に算定することはできない。ECTの麻酔にかかる費用は、ぜんぶECT本体の点数(I000)に含まれる(包括)。

点数の基本(令和8年6月改定後)

I000 精神科電気痙攣療法の点数はこのとおり。

区分 点数
1 声門上器具又は気管挿管による気道確保を伴う閉鎖循環式全身麻酔を行った場合 2,800点
2 1以外の場合 150点

今回の改定でのいちばん大きな変更点が、この「1」の名称。これまでの「マスク又は気管内挿管による閉鎖循環式全身麻酔」から、「声門上器具又は気管挿管による気道確保を伴う閉鎖循環式全身麻酔」に変わった。i-gelなどの声門上器具での気道確保が、文言の上でもはっきり位置づけられた形だ(L008=全身麻酔の名称変更ともそろえた形)。

そのうえで、押さえておきたいポイントは、

  • 麻酔科標榜医が麻酔を担当すると、900点を加算(注3)
  • 包括範囲の明確化:上記の麻酔に要する費用は点数に含まれるけど、薬剤料と特定保険医療材料料は別途算定できる(プロポフォールや筋弛緩薬の薬剤費は取れる)
  • 麻酔技術料(L008など)はECTの点数に包括されていて、別には算定できない

点数表の文章を確認 💡

令和8年6月改定後のI000の通知(3)はこうなっている。

(3)声門上器具又は気管挿管による気道確保を伴う閉鎖循環式全身麻酔を伴った精神科電気痙攣療法を実施する場合は、当該麻酔に要する費用は所定点数に含まれ、別に算定できない。ただし、当該麻酔に伴う薬剤料及び特定保険医療材料料は別途算定できる。また、声門上器具又は気管挿管による気道確保が適切でないと判断した場合に、声門上器具又は気管挿管を使用せずに閉鎖式・半閉鎖式等の全身麻酔を実施した場合は、本区分により算定する。

ここから読み取れるのは、2つ。

① 麻酔費用は包括。別請求はできない

深鎮静やL008として別に取るのはNG。ただし薬剤料・特定保険医療材料料は別、というのがポイント。

② 挿管しなくても、この「1」で算定できる

「声門上器具又は気管挿管」がベースの名称だけど、それらが適切でないと判断したときは、使わずに閉鎖式・半閉鎖式の全身麻酔で実施しても、ちゃんと「1」で算定できると明記されている。ECTは短時間だから、マスク換気だけで終えることも多いよね。そういうケースでも、閉鎖循環式の全身麻酔として行っていれば「1」でOK。ただ、麻酔記録に、以下の記載が必要と思います。

· 判断の根拠:なぜ気道確保器具の挿入が適切でないと判断したのか(例:開口障害、解剖学的リスクなど)
· 実施内容:声門上器具や気管挿管を使用せずに、マスク換気による閉鎖式全身麻酔を実施した旨

「声門上器具又は気管挿管による気道確保は○○のため適切でないと判断し、マスク換気による閉鎖循環式全身麻酔を実施した」といった一文の記載が望ましいです。

これは単なる事務上のルールではなく、「必要のない挿管を避けて患者の安全を優先した」という医療行為の正当性を担保する記載です。

つまり、麻酔科標榜医のmECTは「3,700点」

麻酔科標榜医が修正型ECT(mECT)の麻酔を担当する、いちばん一般的なケースだと、

2,800点 + 900点 = 3,700点(+薬剤料・材料料は別)

という計算になる。

麻酔科の立場から見ると

この3,700点、中身を見ると

  • 麻酔前診察
  • 麻酔薬、筋弛緩薬の投与
  • 気道管理
  • 覚醒確認
  • PACU相当の観察

ここまでやって3,700点。通常の全身麻酔症例とくらべると、正直かなり控えめな評価だね。

しかも精神科側から見れば、ECT本体(通電などの手技)もこの同じ点数の中に入っている。つまりI000という1つの点数を、精神科と麻酔科で分け合っている形なんだ。短時間とはいえ、全身管理をまるっと担っている麻酔科の手間を思うと、もう少し評価されてもいいのにな……というのが個人的な本音。

忘れずに:+900点には診療録の記載がいる 📝

注3の900点加算は、「麻酔科標榜医によって質の高い麻酔が提供されること」を評価するもの。算定するときは、診療録に、

  • 麻酔科標榜医の氏名
  • 麻酔前後の診察
  • 麻酔の内容

記載しておくこと。麻酔前後の診察を書いた麻酔記録や、麻酔中の麻酔記録を診療録に添付すれば、記載のかわりにできる。ここを残しておかないと、せっかくの900点が取れないことになりかねないので注意。

数分の麻酔とはいえ、全身管理を担っているのが麻酔科。ルールを正しく押さえつつ、自分たちの仕事の価値もちゃんと意識していきたい。では、また。

I-DECIDEDって何?

ここ数回、「末梢ルートは期間で抜くな、所見で抜けという話」をしたところ、その中に出てきたI-DECIDEDを、もっと詳しく教えほしいというご要望をいただきました。

この "I-DECIDED" を、背景から 使い方まで、つれづれに解説します。

 

末梢ルートは「世界で最も多用される侵襲的デバイス」

末梢静脈ルート(PIVC)は、世界で年間10億本以上が留置される人類が最も多く体に刺している侵襲的デバイスです。にもかかわらず、その管理の実態は長らくブラックボックスでした。

それを可視化したのが、Alexandrou らの横断調査(J Hosp Med 2015)。

13か国14病院・479人を一斉点検したところ、、、

- 入院患者の 59%が、少なくとも1本の末梢ルートを留置
- そのうち 16%は、輸液も薬剤指示もない「遊んでいるルート
- 2% には、すでに静脈炎の症状が1つ以上出ていた

つまり「6人に1人は、いらないのに刺さったまま」「8人に1人は、すでに静脈炎になりかけ」。これが世界の"末梢ルートの現実"でした。しかも別の監査では、遊んでいるルートである割合は 25〜50%、合併症や機能不全で治療完了前にダメになる末梢ルートは 最大69% と報告されています(I-DECIDED 論文より)。

 

なぜ「既存のツール」ではいけなかったのか

じゃあ、静脈炎スケールでチェックすればいいのでは? 実際、VIP(Visual Infusion Phlebitis)スケールをはじめ、静脈炎の評価表は昔からありました。

ところが、開発者たちが指摘したのは、静脈炎スケールは"静脈炎しか見ない"という弱点でした。末梢ルートがダメになる理由は、静脈炎だけではありません。

  • 閉塞(occlusion)
  • 逸脱・自己抜去(dislodgement)
  • 浸潤・血管外漏出*(infiltration / extravasation)

こうした「静脈炎以外の失敗」を、静脈炎スケールは拾えない。

それに加えて、

  • そもそもまだ必要か(need)
  • ちゃんと機能しているか(function)
  • ドレッシング・固定は大丈夫か
  • 感染対策は守れているか

といった「管理の要点」も、静脈炎スケールはチェックできないのです。ケアバンドルや電子記録、チェックリストも試されましたが、効果はまちまち。「赤くなってないからOK」で見送った末梢ルートが、実は閉塞しかけ・固定はゆるゆる・もう不要、なんてことが平気で起きました。

→ 点で見るスケールではなく、面で見る"思考の型"が必要

これが I-DECIDED が作成されたときの問題意識でした。

 

誰が、どんな発想で作ったのか

I-DECIDED を開発・検証したのは、Ray-Barruel らオーストラリア AVATAR(Alliance for Vascular Access Teaching and Research)のグループ(BMJ Open 2020)。

その、共著者の顔ぶれは、

Claire Rickard:前々回紹介した「末梢ルートは所見で抜いてよい」を示した Lancet 2012 のRCTの中心人物
Vineet Chopra:前回紹介したデバイス選択基準 MAGIC の筆頭著者

つまり、「問題を可視化した人(Alexandrou 2015)」「定時交換を否定した人(Rickard 2012)」「デバイス選択を体系化した人(Chopra 2015)」が、その流れの中でベッドサイドの日々の判断ツールとして作成したのが I-DECIDED なんです!

 

頭文字8文字を1つずつ紹介

頭文字を I→D→E→C→I→D→E→D の順になぞり、最後に決定(Decision)です。

 I — Identify(まず、ルートあるか):ルートの有無を確認。48時間以内に抜いた患者なら、抜去後静脈炎が出ていないか刺入部も診る。
 D — Does the patient need it?(まだいるか):過去24時間に使ったか、今後24時間で使う見込みか。経口に切り替えられないかを薬剤師・主治医と検討。不要なら抜去

E — Effective function(効いているか):滴下・フラッシュは良好か、逆血はあるか。機能不全なら刺し替え
C — Complications(合併症):疼痛≧2/10、発赤\>1cm、腫脹\>1cm、滲出、浸潤・血管外漏出、硬結、索状物、その他(掻痒・発疹など)。該当すれば抜去・必要なら刺し替え
I — Infection prevention(感染対策):ANTT・手指衛生・ハブ消毒(scrub the hub)。刺入部の膿性分泌、または他に源のない原因不明の発熱・WBC上昇があれば、ルートを抜いて先端培養を考慮。
D — Dressing & securement(被覆と固定):清潔・乾燥・密着か。湿潤・汚染・剥がれがあれば、まず貼り替え(刺し替えとは限らない)。デバイスとルートの固定も確認。
E — Evaluate & educate(評価と説明):患者・家族がルートの目的と抜去予定を理解しているか。説明する。
D — Document(記録):挿入日時、アセスメント内容と取った対応、抜去日時を残す。

そして締めは、次の4択から Decision(決定)する。

1. そのまま継続(変更なし)
2. 継続するが、ドレッシング交換・再固定
3. 抜去して終了
4. 抜去して刺し替え(患者・チームと最適なデバイス・部位を相談)

「赤いか/赤くないか」の一点ではなく、必要性・機能・合併症・感染・被覆を合わせて見る。だから見落としが減る。

 

このツールの"哲学"——前回までの話と一本につながる

開発論文の中で、著者たちがいちばん言いたかったであろう一文がこれです。

> ルートを継続するか抜くかの判断は、包括的な臨床評価に基づくべきであり、単に「留置期間」や「静脈炎症状の有無」だけで決めるものではない。

これは前々回の「72時間という期間で抜くな前回の「所見で抜き、血管を温存せよと、完全に同じ思想なんです。

ではまた。

 

参考文献

1. Ray-Barruel G, et al. The I-DECIDED clinical decision-making tool for peripheral intravenous catheter assessment and safe removal: a clinimetric evaluation.

BMJ Open 2020;10(1):e035239. 

doi.org/10.1136/bmjopen-2019-035239
2. Alexandrou E,  et al. International prevalence of the use of peripheral intravenous catheters.

J Hosp Med 2015;10(8):530–3.

doi.org/10.1002/jhm.2389
3. Rickard CM, et al. Routine versus clinically indicated replacement of peripheral intravenous catheters: a randomised controlled equivalence trial.

Lancet 2012;380(9847):1066–74. 

doi.org/10.1016/S0140-6736(12)61082-4
4. Chopra V,  et al. The Michigan Appropriateness Guide for Intravenous Catheters (MAGIC).

Ann Intern Med 2015;163(6 Suppl):S1–40. 

doi.org/10.7326/M15-0744

硬膜外フェンタニルは原液? それとも薄める? ── 容量と濃度を薬物動態で考える

前回からのつづき。硬膜外フェンタニルについて、もう一つよく聞かれる素朴な疑問があります。

フェンタニル 100 μg を硬膜外に入れるとき、原液(50 μg/mL)で 2 mL のままドンと入れていいの?それとも生食で薄めるべき?

これは「投与量」とは別の、容量(ボリューム)と濃度をどうするかという問題で、意外と奥が深いところなんです。

結論から言うと、

5〜10 mL に薄めて入れる方が、薬物動態的に理にかなっている。 原液 2 mL のままだとカテーテル先端部分の狭い範囲にしか効かない。

というのが私の考えです。

大前提:ボーラスのフェンタニルは「脊髄で効く」

容量の話の前に、前回の復習をひとつ。

硬膜外フェンタニルは、ボーラスで入れるか持続で流すかによって、効く場所(作用部位)が変わるんでしたね。Ginosar らのボランティア試験 [3]が、この長年の論争にきれいなケリをつけてくれました。

* ボーラス投与分節性の鎮痛が出て、鎮痛効果は血中濃度と相関しない → 脊髄(分節)で効く
* 持続投与非分節性の鎮痛になり、鎮痛効果が血中濃度ときれいに相関する → 全身性(血液に吸収されて効く)

今回のテーマである「ボーラス」は、まさに脊髄分節で勝負する投与法。

だから、どの分節にどれだけ届くか=容量 広がり のバランスが大切なわけです。

硬膜外腔は「広がる」スペース

これは局所麻酔薬で皆さん馴染みのある原則ですが、オピオイド でも本質は同じ。硬膜外腔における薬剤の広がりは二つの要素で決まります。

  • 容量(注入する mL 数)→ 縦方向(分節範囲)が広がり
  • 濃度(mg/mL)→ 局所的な薬理効果の強さ

容量が小さければ、薬剤は注入点近くにとどまり、上下数分節しか広がりません。

フェンタニル原液 50 μg/mL を 100 μg ボーラスすると、容量はたった 2 mL。これではカテーテル先端付近の 2〜3 分節分 しかカバーできない可能性が高いんです。

この「容量を増やすと分節範囲が広がる」というのは、実は産科麻酔の世界できれいに検証されています。Siddik-Sayyid らの RCT [5] では、硬膜外腔への先行注入を 2 mL と 10 mL で比べたところ、10 mL の方がブロックされた皮膚分節数が有意に多かった

ただ、痛みのスコア(VAS)も追加鎮痛の必要量も、両群で差がなかったんです。

 

容量を増やすと「カバーする範囲」は広がるが、「鎮痛の強さ」そのものが増すわけではない。

 

だから「薄めて容量を稼ぐ」意義は、広い範囲(多分節)を一度にカバーしたいときに生きてくる。痛みが狭い範囲に限られているなら、無理に薄める必要はないというわけです。

Bernards の理論から考えると

前回紹介した Bernards 先生の仕事[1-2]を思い出してください。脂溶性の高いフェンタニルは、硬膜外脂肪と硬膜外静脈に取り込まれやすい。フェンタニルが髄液に移行できるかどうかは、脂肪・静脈に持っていかれる前に、いかに濃度勾配を稼げるかなんです。

そうすると、

  • 濃度が高くても容量が少ない(原液 2 mL):広がりが悪く、限れた分節範囲でしか濃度勾配がいかせない
  • 5〜10 mLに希釈:広がりはよく、各分節での濃度勾配もしっかり保てる(実用上のスイートスポット
  • 20 mL 以上に希釈:広がりは抜群だが、シャビシャビで各点での濃度勾配が小さくなり、髄液移行が落ちる可能性がある

経験的に多くの麻酔科医が無意識にやっている「ちょっと薄めて入れる」は、分節範囲を稼ぐ という点では理論的にも妥当なんですね。

局所麻酔薬と一緒に入れるワケ

実際には、フェンタニルを単独で硬膜外ボーラスすることは少なく、たいてい局所麻酔薬に混ぜて入れますよね。

  • 0.2% ロピバカイン 5〜8 mL + フェンタニル 100 μg のような組み合わせ

局所麻酔薬が キャリア として容量を稼ぎ、分節範囲を広げてくれます。さらに、局所麻酔薬と硬膜外フェンタニルには相乗効果がありました。Polley らの MLAC 試験 [4]では、硬膜外フェンタニルは、静注フェンタニルに比べてブピバカインの効力を約 1.9 倍に高めました(=同じ鎮痛に必要な局麻濃度がほぼ半分ですんだ)。同時に皮膚分節レベルも有意に高く、これは フェンタニルが主に脊髄で効いていることを裏づけた所見です。

これが、術後鎮痛で「局麻+オピオイド混合」が標準になっている薬理学的理由ですね。

生食希釈 vs 局麻希釈

では、生食で薄めるのか、局所麻酔薬で薄めるのか。

状況 希釈法 理由
術中・抜管前 生食希釈 5〜10 mL 循環をいじりたくない
術後 PCEA 開始時のローディング 薄い局麻+フェンタニル

スムーズで確実な鎮痛の立ち上がりを狙う

既に局麻持続中の レスキュー  生食希釈 (5 mL 程度) 局麻の追加は、運動神経ブロック等の評価と別建てで判断
カテーテル位置確認のテストドーズ兼用 局麻入り 冷覚低下範囲などを確認できる

原液 100 μg(2 mL)を使う場面はある?

  • 既に局所麻酔薬が硬膜外腔にタプタプにあって、そこにオピオイドだけを足したいとき
  • カテーテル位置に自信があって狭い分節をピンポイントで狙いたいとき
    (例:胸部硬膜外で T4-T6 だけ強化)
  • 術直後で循環不安定、どうしても容量負荷を小さくしたいとき

こういう場合は原液ボーラスもアリかもしれません。

大切なのはルーチンにするのではなく、「あえて容量を少なくすることを選んだ」と意識して使うべきものと思います。

まとめ

硬膜外フェンタニルは、

  • 投与法(ボーラス vs 持続)で作用部位が変わる
  • 投与のタイミング・患者背景で安全域が変わる
  • 容量・濃度の選択で鎮痛範囲が変わる

「100 μg は危ない」「希釈は不要」「持続で流しておけばいい」といった単純化された指導をそのまま鵜呑みにせず、毎回、薬物動態の地図の上に自分の症例を置いて考える ことが、麻酔科医としての腕のみせどころだと思います。

それでは、また。

文献

  1. Bernards CM, et al. Epidural, cerebrospinal fluid, and plasma pharmacokinetics of epidural opioids (part 1): differences among opioids.
    Anesthesiology 2003;99(2):455-65.
    doi:10.1097/00000542-200308000-00029
  2. Bernards CM, et al. Epidural, cerebrospinal fluid, and plasma pharmacokinetics of epidural opioids (part 2): effect of epinephrine.
    Anesthesiology 2003;99(2):466-75.
    doi:10.1097/00000542-200308000-00030
  3. Ginosar Y, Riley ET, Angst MS. The site of action of epidural fentanyl in humans: the difference between infusion and bolus administration.
    Anesth Analg 2003;97(5):1428-38.
    doi:10.1213/01.ANE.0000081793.60059.10
  4. Polley LS,  et al. Effect of intravenous versus epidural fentanyl on the minimum local analgesic concentration of epidural bupivacaine in labor.
    Anesthesiology 2000;93(1):122-8.
    doi:10.1097/00000542-200007000-00022
  5. Siddik-Sayyid SM,  et al. The effect of injection of two vs 10 mL saline on the subsequent spread and quality of epidural analgesia in parturients.  
    J Clin Anesth 2006;18(8):575-9.
    doi:10.1016/j.jclinane.2006.03.015

結局どうなったら刺し替える?——抜く理由と"血管を残す"という発想

masuika.org

前回↑、末梢ルートもミッドラインも、ルーチンに取り替える時代じゃない。臨床所見で抜く[1][2][8]と書きました。

「決まった期間で抜かないのは分かった。じゃあ、一体何を見て"刺し替える"?」と言われそうなので、それについて書いてみようと思います。

——「72時間で抜け」の唯一の良いところは、"何も考えなくていい"ことです。でも"臨床所見のどこを見るか"は、知っておく必要があります。

そこで今回は、(1)具体的な刺し替えのトリガーと(2)その奥にある最重要テーマ「血管温存」について語ります。

大前提として:「抜く」と「刺し替える」は別もの

ごっちゃにされがちですが、ここは明確に分けましょう。

  • 抜去:もういらない → 抜いて終わり(これが一番えらい!

  • 刺し替え:まだいるが、今のラインがダメ → 別の血管へ入れ直す

  • 継続:問題なく使えている → 触らない、そのまま

これらすべての最大の問いが「そもそも、このルートまだいる?」です。

入院患者さんの末梢ルート、院内監査をすると2〜5割が"なんとなく"入りっぱなしだとされています[3][4]。内服に切り替えられないか、もう抜けないか。これを毎日問うだけで、無駄なルート維持がごっそり減ります。

どうなったら、刺し替える?——要点はこの4つ

判断の"型"としては、オーストラリアのRay-Barruelらが現場向けに開発した I-DECIDED(アイ ディサイデッド)という8ステップの評価ツール[3]が非常に便利です。

これは、「本当にルートが必要か? Does the patient need it?」「合併症はないか?Evaluate complications」「機能しているか? Check function」といった毎日の必須チェック項目を頭文字でつなげた、いわば"ルート管理の指差し確認"です。現場で使えるよう、この中から抜去・差し替えのトリガーだけを抜き出すとこうなります。

  1. 機能不全:滴下やフラッシュが不良、逆血がない

  2. 合併症:疼痛、1cm以上の発赤、腫脹、浸潤・血管外漏出、硬結、索状物

  3. 感染:刺入部の膿性分泌、または他に原因のない発熱・WBC上昇(→抜いて先端培養)

  4. 不要:もう使っていない(→即座に抜去!)

逆に言えば、ドレッシング材がペラっと剥がれただけなら「まず貼り替え」です(刺し替えではありません)。 要するに、「72時間経ったから」でも「赤くないからまだ大丈夫」でもなく、機能・必要性・合併症・感染の有無を一通り見て決める。これが「臨床所見で判断」の中身です。ミッドラインカテーテルも原則は同じで、時期が来たらでは抜きません。

さぬちゃんメモ 💡 特に「浸潤」と「血管外漏出」は、見逃すと組織壊死に直結する最重要トリガーです。抗がん剤などの起壊死性薬剤を流すなら、刺入部は毎回"ガン見"でお願いします。でも「何かあったら全部刺し替え」ではありません。剥がれは貼り替え、不要は抜去、と冷静に管理しましょ。

「血管温存(Vessel Preservation)」という発想

ここからが皆さんにぜひ知ってほしい概念です。 「1回の穿刺、1本の留置は、患者さんの静脈を1本"消費"している」

海外では、アクセス可能な血管のことを "venous real estate(静脈という不動産)" と呼びぶことがあります。血管は無限に湧いてくるものではなく、限りある大切な"資産"だという発想です。

この視点を持つと、「合併症もないのに72時間ごとにルーチンで刺し替える」という運用は、健全な血管という資産を次々と潰していく浪費にほかなりません。前回の「臨床所見で抜く」というアプローチは、感染や静脈炎を増やさない[7]だけでなく、患者の血管資産を守るという意味でも極めて理にかなっているわけです。

VHPとMAGIC基準:最初に正しく選ぶという戦略

この「血管温存」はルートを入れる"前"のデバイス選択からすでに始まっています。 ここで知っておきたいのが、VHP(Vessel Health and Preservation=血管の健康と温存)という考え方です[5]。これは英国などで推進されている「とりあえず手背から刺す」を卒業し、「入院した時点で、患者の血管資産を最後までどう守り抜くか」を計画する全体構想(文化)のこと。

このVHPの理念を現場で実践するための、強力な"物差し"となるのが MAGIC基準(Michigan Appropriateness Guide for Intravenous Catheters:2015年にミシガン大学が中心に作成)です[4]。名前は魔法みたいですが、中身は超現実的。「薬剤の性質」「必要な治療日数」「患者の血管状態」を掛け合わせて、最も安全で血管に優しいルート選択を導き出します。

要約するとこんな感じ

  • 末梢適合の薬剤で、5日以内の治療:通常の末梢静脈カテーテル(PIVC)でOK。PICCはやりすぎ。

  • 6〜14日の中期的治療:ミッドラインカテーテルや、超音波ガイド下の末梢ルート(US-PIVC)がベスト。

  • 15日以上、あるいは起壊死性薬剤(一部の抗がん剤など)や高浸透圧輸液:期間によらず、最初からPICCなどの中心静脈。

前回の「ミッドラインは太い静脈で血流による希釈が効くから長持ちする」という話も、この「適材適所で血管を守る」という体系の一部だったんです。

血管温存が"命に直結"する人たち

特に意識しなければならないのが、慢性腎臓病(CKD)や透析予備群の患者さんです。 彼らの腕の表在静脈は、将来の内シャント(AVF)を作るための命綱です。ここで安易にPICCを入れたり、末梢の穿刺を繰り返したりすると、静脈炎や血栓、中心静脈狭窄を招き、将来のバスキュラーアクセスを永遠に失うことになりかねません[6]。 「CKDや末期腎不全ではPICCを極力避け、"venous real estate"を死守せよ」——これが腎臓領域からの強いメッセージです(Oza-Gajeraら, 2023)[6]。

さぬちゃんメモ 💡 CKDが視野に入る患者さんでは、「この腕、将来シャントに使うかも」を常に頭の片隅に置いてください。シャント予定側での穿刺は避け、太い静脈を超音波ガイドでピンポイントに狙い、迷ったら腎臓内科に一声かける。 我々麻酔科医としても、手術室での太い末梢確保はありがたい(安心する)ものですが、患者さんの生涯にわたる血管温存とのバランスを常に測る必要があります。

がん治療中の患者さん、頻回採血が必要な方、長期療養の方も同じです。「最初のデバイス選択」「無駄に刺さないこと」が、治療の完遂とQOLの維持に直結してきます。

明日からの実践メモ(入れる前 → 抜くまで)

  • 入れる前:「本当にいる?」「何日いる?」と自問し、MAGIC基準でデバイスを選ぶ[4]。

  • 穿刺部位:前腕の太めの静脈を、"目的を達する最小ゲージ"で。関節・手背・肘窩は極力避ける。深い静脈は超音波ガイド下で狙い、表在静脈を温存する。

  • 毎日の管理:I-DECIDEDで客観的に評価[3]。不要なら即抜去、トラブルがあれば差し替え、剥がれただけなら貼り替え。

  • CKD患者:将来のシャント側(venous real estate)を全力で守る[6]。

  • 結論:ルールや数字を守るのではなく、血管と患者を守る。

「72時間」や「2週間」という期間の縛りで、私たちが本当に守りたかったのは"マニュアルの数字"ではなく、"患者さんの血管とその先にある安全"だったはず[8]。 差し替えの判断を所見ベース(Clinically-indicated)にアップデートし、その根底に「血管温存」という長い視点を置く。「この一本の血管をどう活かし、どう守るか」ですね。

ではまた。

 

本稿は一般的考察であり、実際の判断は各施設プロトコルと患者の臨床所見に従ってください。

 

参考文献

  1. Rickard CM,  et al. Routine versus clinically indicated replacement of peripheral intravenous catheters: a randomised controlled equivalence trial. Lancet. 2012;380(9847):1066–74. PMID: 22998716.
    https://doi.org/10.1016/S0140-6736(12)61082-4

  2. Webster J,  et al.  Clinically-indicated replacement versus routine replacement of peripheral venous catheters. Cochrane Database Syst Rev. 2019;1(1):CD007798. PMID: 30671926.
    https://doi.org/10.1002/14651858.CD007798.pub5

  3. Ray-Barruel G,  et al. The I-DECIDED clinical decision-making tool for peripheral intravenous catheter assessment and safe removal: a clinimetric evaluation. BMJ Open. 2020;10(1):e035239. PMID: 31969371.
    https://doi.org/10.1136/bmjopen-2019-035239

  4. Chopra V,  et al. The Michigan Appropriateness Guide for Intravenous Catheters (MAGIC). Ann Intern Med. 2015;163(6 Suppl):S1–S40. PMID: 26369828. https://doi.org/10.7326/M15-0744

  5. Hallam C,  et al. UK Vessel Health and Preservation (VHP) Framework: a commentary on the updated VHP 2020. J Infect Prev. 2021;22(4):147–155(Epub 2020 Dec 14). PMID: 34295375.
    https://doi.org/10.1177/1757177420976806

  6. Oza-Gajera BP,  et al. PICC line management among patients with chronic kidney disease. J Vasc Access. 2023;24(2):329–337(Epub 2021 Jul 3). PMID: 34218708.
    https://doi.org/10.1177/11297298211025897

  7. O'Grady NP, et al; HICPAC. Guidelines for the Prevention of Intravascular Catheter-Related Infections. Clin Infect Dis. 2011;52(9):e162–e193. PMID: 21460264.
    https://doi.org/10.1093/cid/cir257

  8. Nickel B, et al. Infusion Therapy Standards of Practice, 9th ed. J Infus Nurs. 2024;47(1S Suppl 1):S1–S285. PMID: 38211609.
    https://doi.org/10.1097/NAN.0000000000000532