映画「救いたい」、明日から全国ロードショー。麻酔科医とひたむきさがテーマ。オススメです
いよいよ、明日、11/22(土)(いいふうふ)から、映画「救いたい」が全国の映画館で一般上映が開始される。
麻酔科医にとっては、日本国中の方々に麻酔科医の仕事を理解してもらうことができるよいチャンスである。また、麻酔科医だけでなく看護師や外科医をはじめ、僻地で診療を地道に行っている医師の姿なども描かれ医療関係者のイメージアップにもつながる映画となっている。日本看護協会や日本医師会などの後援を受けているのも納得できる。また、東日本大震災の時あるいはその後の自衛隊の活動もうまく描かれている。マスコミは、とかく医療のアラを探したり、自衛隊の悪口を書いたりしているが、この映画を見ると現場で働いている医療関係者や自衛隊の隊員に悪意や他意はなく、ただただ、ひたむきに、自分の任務を遂行する(自分の役目を果たす)ことによって世の中の役に立とうとがんばっている姿がある。東日本大震災の時にも言われたことであるが、あの状態の中、日本人は秩序を守って礼儀正しく実直に生きることを強制されなくてもできるのである。おそらく、この「ひたむきさ」は日本人が生まれながらあるいは後天的に備わった民族としての性質なのではないかと思ってしまう。この「ひたむきな」性質は、麻酔科医とても同様である。この映画「救いたい」は、麻酔科医を主人公に東日本大震災から3年後の、そこに住む人びととの関わりをモチーフに描いたリアルなヒューマンドラマである。すべての人の「ひたむきさ」が至る所にちりばめられ、この映画を見た後には、感動とやさしいきもちとすがすがしさが入り交じった状態で自分の中にあることに気づく(多くの人がそうかどうかはわからないが、私の中にはその様な感覚がある)。「ひめゆりの塔」「ラストゲーム 最後の早慶戦」「遠き落日」「ハチ公物語」「ふるさと」神山征二郎監督の力作である。
神山征二郎 (コウヤマセイジロウ,Seijiro Koyama) | Movie Walker
映画「救いたい」神山征二郎監督 世界に見せたい「ひたむきさ」(1/2ページ) - 産経ニュース
「忘れてはいけない」思い新たに ──映画『救いたい』鈴木京香&三浦友和インタビュー シネマトリビューン
鈴木京香と三浦友和が語る、結婚観と夫婦の理想型とは? | ニュースウォーカー
映画『救いたい』完成披露試写会2014/11/10
映画ナビ最新ニュース : 鈴木京香、三浦友和ほか豪華キャストが勢揃い。『救いたい』完成披露試写会舞台挨拶リポート
宮城出身の鈴木京香、被災地描く主演作に「中途半端には出来ないという恐怖心もあった」 : 映画ニュース - 映画.com
(なんと、映画.comの記事には管理人の名前も、、、しかし肩書きがちょっと間違っていて、発起人ではない。)
舞台挨拶も終盤に近づいたところで、花束贈呈のイベントがやってきた。台本通りに、名前を呼ばれた順に舞台の下手から俳優さん達の前に立つ。花束贈呈のところでは、鈴木京香さんが、「ありがとうございます。」と言ってくれて、握手をしたのだが、見とれていて、とっさに言葉が出ない。「あわわ」となりそうだったので、軽くお辞儀をして声は出さずに「ありがとうございます」と口パクで答えた管理人だった。
最後に、映画の完成披露試写会が終わった後に、神山征二郎監督と麻酔科チームで1枚だけ記念写真を撮ってもらった。写真を撮ってくださったのは、この映画「救いたい」のカメラマンで、プロ中のプロ、加藤雄大さんである。カメラは管理人のJ4である。管理人、このとき上半身しか映らないと思ってまっすぐ立っていないのが気になる。いろいろやらかしてしまった一日であった。
11月22日(土)に全国でロードショーが始まる。ぜひ、映画館でこの映画の良さを感じて欲しい。そして、麻酔科医の仕事が、どのようなものなのかが世の人に認知されることを、切に願っている管理人である。
東日本大震災復興支援と映画『救いたい』試写会
今回は、日本心臓血管麻酔学会の広報委員長としてのお仕事で仙台にお邪魔しました。その際に仙台で行われた試写会と主題歌を担当する小田和正さんのコンサートについて、つれづれに記録を残したいと思います。
このブログで、何度も取り上げております、映画『救いたい』の一般試写会が、2014年9月4日(木)MOVIX仙台で行われました。今回の試写会は一般市民の方々も公募で当選すれば参加可能な一般試写会です。映画館の入り口は、平日の午後というのに招待者とマスコミ、自衛隊の迷彩服を着た広報の方々などで賑わっておりました。管理人も、試写会の招待券をいただき、中の雰囲気を体験することができました。関係者試写会と違って、今回は映画監督の神山征二郎氏、原作者の川村隆枝先生に加えて、主演の鈴木京香さん、三浦友和さんが出演され、アナウンサーの司会でインタビューが映画の上映前に催されました。舞台挨拶というのかもしれません。舞台挨拶の様子は、決められた報道関係者のみに撮影が許されていて、残念ながら写真や動画は撮影できませんでした。が、幸いになことに以下のサイト
鈴木京香、地元&ロケ地・仙台で『救いたい』お披露目に感無量「皆さんの気持ちが一番思い出深いです」 シネマトリビューン
に詳細が出ています。
この映画の内容が、東日本大震災で被災した仙台や盛岡での復興の様子やそこに住む人びとの生き方を描いているだけに仙台の方々はより力が入ると思うのです。東日本大震災の復興を題材にした映画に、原作者の麻酔科医である川村隆枝先生の麻酔科医の仕事を一般市民にも知って欲しいという想いがうまく盛り込まれた感動作です。舞台挨拶には時別ゲストとして仙台・宮城観光PRキャラクターであるむすび丸が登場しました。映画の中にむすび丸が出ていることを、アナウンサーの紹介ではじめて知りました。
さて、映画「救いたい」の試写会は2回目なのですが、以前にもブログに書いたのと同じ場面で泪があふれます。この映画に入り込んだら何回も泪があふれる状況は変わらないのです。しかし、今回はお仕事の関係上、自分の周りの様子観察を実践できました。両隣は、全然知らない方々でしたが、大変感動のご様子で、泪ぼろぼろ。周りにもハンカチを持っている人が多数いるのを確認できました。
映画というのは映像だけでなくストーリーや音楽などが、微妙に絡み合って心に届きます。その映画の主題歌「その日が来るまで」は小田和正さんが担当しています。映画の中で、この曲がかかるとジーンときます。聴くだけで、とてもやさしい気持ちになります。特に、少し前に見た劇中の映像がフラッシュバックして映る様なきがします。
映画「救いたい」一般試写会と同じ日に、仙台では小田和正さんのコンサートが行われました。利府町のセキスイハイムスーパーアリーナです。小田さんが東北大学の出身だと言うことをこのコンサート中に知りました。コンサート中に、「ぼくを育ててくれた街」という言葉を何度も使っていたのが印象的でした。
映画「救いたい」の主題歌である「その日が来るまで」という歌は2012年に新曲として発表されています。このことからも、東日本大震災を応援する主題歌としてぴたっとくるのは当然だと感じました。映画の制作は、「その日が来るまで」より後からなされたのですが、小田さんがこの曲を映画のために提供してくださったことは、感激でした。これも、東日本大震災復興支援に寄与したいという想いからでしょう。
関係者受付でチケットをもらった後、会場に入りました。管理人は小田さんのコンサートは初めてです。センタ-ステージがあり、そこを中心にアリーナ-を1周できるような花道がついています。また、バックの演奏を行うステージには多方面に向いた巨大な高精細モニターがあります。それとは別に歌詞が表示される電光掲示板があり、小田さんの歌に合せて一緒に歌うために設けられているものだとと思います。実際、観客いや熱狂的なファンは乗ってくると立ち上がって一緒に大きな声で歌います。おとなしくしていたと思われる周りの方々も、なぜだか一緒にノリノリになって歌います。全席指定なのに立ち上がって常に歌っている人達が通路に出ているのですが、お顔を拝見するに、小田さんと同年代かそれより上と思われる方々です。歌舞伎の様に、歌を歌っていない時には合いの手が入ります。「●●屋」とかではなく「小田さん」です。ほぼ、3時間歌いっぱなしです。花道を歩いたり走ったり、観客と同化したりして動き回ります。楽器もギター、エレキギター、ビアノ、ウクレレと多彩に弾きながらです。恐らく30曲は歌ったと思います。この体力と気力はたいしたものです。小田さんと一体になった「つながり感」が分かる様な気がしました。
驚かされたのは小田さんの年齢が66歳であると言うこと(ご本人が述べられていました)。プロの歌手ですからコンサートで歌えるのは当たり前と思われるかもしれません。しかし、あの体型だけでなく動きや体力、ハイトーンの声、音程の正確さ音域の広さを維持できていることは、すばらしく、それを見聞きする観客は、驚きを超えて、勇気や元気を受け取ることができます。日頃から、かなりの節制を強いているものとおみうけしました。このコンサートは、会場にいる人の気持ちを前向きにします。一緒になって歌うことで、元気になります。観客の年齢層を考えると、団塊の世代の方々周辺の方々だと思われます。小田さんを見ていると、まだまでがんばらなければならないと感じるのではないでしょうか。私は団塊の世代よりはずっと若いのですが、この年齢層の方々が勇気ややる気をもらうことによって、社会活動に多大な影響をあたえることができると感じました。小田さんの歌や人そのもの、さらにコンサートは、映画「救いたい」の中で震災で破壊された町や社会を復興する人びとの勇気ややる気を奮い立たせている役目を十二分に果たしていると確信しました。