同じ薬なのに、なぜ?——脳外科でアラグリオによる低血圧が「起きない」ように見える謎
脳外科の先生方の中には、「私たちの科でもアラグリオを日常的に使っているけれど、そんなに血圧が下がることは経験したことがない」と不思議に思う方がいるかもしれません。
実は、結論から言うと、5-ALA(アラグリオの成分)は脳外科の手術でも血圧を下げています。ただ、それが「問題となるほどの低血圧」として表れにくい、というだけなのです。
定説の起源と、それを覆した大規模データ
この「脳外科では安全」という定説に一石を投じたのが、2022年にMorisawa医師らが発表した多施設共同研究です[3]。142例の悪性グリオーマ手術を対象としたこの研究では、5-ALAを投与した患者さんのうち、手術中に重度の低血圧(収縮期血圧70 mmHg未満)を起こした割合は89%にものぼり、投与しなかった患者さん(56%)と比べて明らかに高いことが示されました。統計解析の結果、5-ALAの投与は、術中低血圧を引き起こす独立したリスク因子であると結論づけられています(オッズ比 6.72)。さらに詳しく分析すると、高齢の患者さんや、特定の降圧薬(RAS阻害薬)を服用している患者さんでは、そのリスクがさらに高まることもわかりました。同時に行われた実験室レベルの研究では、5-ALAが血管を拡張させる二重のメカニズム(NO産生の増加と、PPIXによるsGCの活性化)も示唆されています[3] [4]。
他の研究を見ても、Chung医師らの研究(2013年、90例)では、脳外科手術での低血圧の発生率は11%でしたが、心血管系の病気があり、かつ降圧薬を飲んでいる患者さんでは、リスクが17.7倍にも跳ね上がることが報告されています[5]。また、Schusteff医師らによる最近の総説(2024年、27の研究をレビュー)では、報告されている低血圧の発生率には最大32%と大きな幅があるものの、降圧薬の服用が一貫したリスク因子であると結論づけています[6]。
さらに最近、Morisawa医師らが発表した続報(2025年、148例)では、全体として見ると手術中の低血圧発生率に統計的な差はありませんでした(5-ALA群 88.9% vs. 非投与群 82.9%)。しかし、60歳以上の患者さんやARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)を服用している患者さんに限ると、やはり5-ALAを投与した群で有意に発生率が高いことが確認されました[7]。この研究ではさらに、摘出した腫瘍を調べたところ、血管拡張に関わるタンパク質(リン酸化eNOS)が活性化していなかったことも判明しました。これは、5-ALAによる低血圧が、腫瘍のある局所的な反応ではなく、全身の血管で起きていることを強く示唆するものです[7]。
では、なぜ臨床現場での印象がこれほど違うのでしょうか?
泌尿器科と脳外科でこれほど印象が違うのは、実は薬そのものの問題というより、「患者さんの背景」に大きな違いがあるからです。
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因子
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膀胱癌(TURBT)[2]
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脳腫瘍(グリオーマ)[2]
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年齢中央値
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73歳
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64歳
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高血圧の合併
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50.0%
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29.4%
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CKD(eGFR<60)
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26.9%
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0%
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RAS阻害薬※
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34.6%
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17.6%
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表を見ると一目瞭然ですが、膀胱癌の患者さんは、5-ALAによる低血圧のリスク因子(高齢、高血圧、腎機能低下、RAS阻害薬の服用)を複数抱えていることが多いのです。一方、グリオーマの患者さんは比較的若く、血管の機能が保たれているため、血圧が下がっても体が代償できる範囲にとどまりやすいと考えられます。加えて、研究ごとに「低血圧」の定義が微妙に異なることも、見かけ上の発生率の差を生んでいる一因でしょう。
重要なのは、5-ALAの血管を広げる作用は、診療科を問わず存在するということです[3] [7]。脳外科であっても、高齢であったり、RAS阻害薬を飲んでいたり、心臓や血管の病気を合併していたりする患者さんに対しては、泌尿器科の手術と同じレベルの警戒が必要だと言えるでしょう。
※RAS阻害薬=ARB/ACE阻害薬/DRI(直接的レニン阻害薬)
麻酔科医としての実践——ノルアドレナリンの予防的投与という考え方
私が考える管理プラン(私見)
【手術前】
□ Ca拮抗薬は継続(保護的に働く可能性)[13]
□ ACE阻害薬/ARBは手術当日の朝、休薬を検討[14]
□ リスク評価:高血圧の既往、ヘマトクリット高値[15]、腎機能低下(eGFR<45)[16]、麻酔導入前の血圧が低い(SBP<100)[17]などの項目をチェック
□ 麻酔方法:脊椎麻酔や全身麻酔であれば、血圧変動の少ないレミマゾラムの使用を考慮[14]
【入室・準備】
□ 動脈ラインの確保(高リスク患者さんでは必須)
□ ノルアドレナリン(20 μg/mL)をシリンジポンプに準備
【導入→ノルアドレナリン開始】 ★麻酔導入と同時に投与を開始
□ 標準リスク:0.05 μg/kg/分
□ 高リスク:0.1 μg/kg/分
□ 平均血圧(MAP)を65〜80 mmHgに保つように調整
□ MAPが55 mmHgを下回る状態が続くなら、アドレナリン持続投与への切り替えを躊躇しない
【手術後】 ★ノルアドレナリンの急な中止は避ける(5-ALAの効果はまだ続いている)
□ 患者さんの意識が戻るのに合わせて、段階的に減量
□ 重症だった場合は、病棟(ICU)でも低用量での持続投与を検討
□ 手術中に低血圧があった患者さんは、少なくとも12時間のモニタリングを継続
□ 腎機能障害が起きた場合は、ICUでの管理を検討[18]
□ 術後の低血圧を「脊椎麻酔の影響が残っているだけ」と安易に判断しない
•□薬の影響が翌朝まで続く可能性があることを、病棟スタッフに周知徹底する[2] [15]
おわりに:シリンジポンプの向こうにある、患者さんの安全
94.3%という高い発生率。全身麻酔でリスクは14〜26倍に。一度起きると昇圧剤に反応しにくい低血圧。そして、術後5時間経ってからの心停止報告[20]。
これらの数字が示す現実は、決して無視できるものではありません。
そして、この問題は泌尿器科だけのものではありません。5-ALAが引き起こす血管拡張は、脳外科手術においても術中低血圧のリスクを6.72倍に高めます[3]。特に、高齢でRAS阻害薬を服用している患者さんに対しては、診療科の垣根を越えて、同じように注意を払う必要があるのです。
5-ALAを用いたPDD(光力学診断)は、非筋層浸潤性膀胱癌の再発率を大きく下げる、非常に優れた技術です。今後も、この技術の恩恵を受ける患者さんは増えていくでしょう。泌尿器科の先生方がこの素晴らしい技術を安心して使い続けられるようにするためにも、私たち麻酔科医がそのリスクを正しく理解し、万全の態勢で臨むことが不可欠です。
「TUR-BTだから大丈夫だろう」——もし、そんな風に思っている麻酔科医の方がいたら、どうかその考えを今日限りで改めてほしいのです。シリンジポンプにセットされた一滴のノルアドレナリンは、私たちの思い込みから患者さんを守り、安全な手術を実現するための、最後の砦なのです
この文章は、TUR-BTでアラグリオ(5-ALA)を使うべきではない、という趣旨で書いたものではありません。むしろ、その優れた技術を安全に活用するために、麻酔科医がリスク管理の認識を新たにするべきだ、という意図で執筆しました。そのため、文章の一部だけを切り取って、本来の意図とは異なる目的で本ブログを引用することは固くお断りいたします。
引用文献
- Stummer W, et al. Fluorescence-guided surgery with 5-aminolevulinic acid for resection of malignant glioma: a randomised controlled multicentre phase III trial. Lancet Oncology. 2006;7(5):392–401.
- Shiratori T, et al. Differences in 5-aminolevulinic acid-induced hemodynamic changes between patients undergoing neurosurgery and urological surgery. JMA Journal. 2021;4(4):374–386.
- Morisawa S, et al. Association of 5-aminolevulinic acid with intraoperative hypotension in malignant glioma surgery. Photodiagnosis and Photodynamic Therapy. 2022;37:102657.
- Mingone CJ, et al. Protoporphyrin IX generation from delta-aminolevulinic acid elicits pulmonary artery relaxation and soluble guanylate cyclase activation. American Journal of Physiology-Lung Cellular and Molecular Physiology. 2006;291(3):L337-44.
- Chung IWH, et al. Risk factors for developing oral 5-aminolevulinic acid-induced side effects in patients undergoing fluorescence guided resection. Photodiagnosis and Photodynamic Therapy. 2013;10(4):362–367.
- Schusteff RA, et al. 5-Aminolevulonic acid, a new tumor contrast agent: anesthesia considerations in patients undergoing craniotomy. Journal of Neurosurgical Anesthesiology. 2024;36(4):294–302.
- Tomoto K, et al. Exploratory analyses of factors related to 5-aminolevulinic acid-induced intraoperative hypotension during malignant glioma surgery via literature review. Photodiagnosis and Photodynamic Therapy. 2025;55:104675.
- Yatabe T, et al. 5-Aminolevulinic acid-induced severe hypotension during transurethral resection of a bladder tumor: a case report. JA Clinical Reports. 2019;5(1):58.
- Xu W, et al. The ED50 and ED95 of prophylactic norepinephrine for preventing post-spinal hypotension during cesarean delivery under combined spinal-epidural anesthesia: a prospective dose-finding study. Frontiers in Pharmacology. 2021;12:691809.
- Chen Y, et al. Prophylactic norepinephrine infusion for postspinal anesthesia hypotension in patients undergoing cesarean section: a randomized, controlled, dose-finding trial. Pharmacotherapy. 2021;41(4):370–378.
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- Aykanat V, et al. Low-concentration norepinephrine infusion for major surgery: a safety and feasibility pilot randomized controlled trial. Anesthesia & Analgesia. 2022;134(2):410–418.
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