手術室で古くから使われている局所麻酔薬、リドカイン(キシロカイン®)。通常は神経周囲に注射して痛みをブロックするために使われますが、近年、これを「全身麻酔中に点滴静注」する手法が、術後回復強化プロトコル(ERAS)の切り札として広まっています。
「なぜ今さら、リドカイン?」
その答えは、単なる鎮痛を超えた「抗炎症作用」と「臓器保護効果」にあります。本記事では、IVリドカインが術後鎮痛の「主役」に躍り出た歴史的経緯と科学的根拠について考察します。
- IVリドカイン復活の経緯:オピオイドからの脱却
実は、リドカインを点滴で鎮痛に使う試みは1950年代から存在しました。しかし、当時は硬膜外麻酔が全盛であり、一度は廃れてしまいました。
風向きが変わったのは、ここ10年ほどの「ERAS」と「オピオイド・フリー」の潮流です。かつては「痛ければ麻薬(オピオイド)を使えばいい」という考え方が主流でしたが、2000年代以降、「オピオイドは吐き気や腸管麻痺(イレウス)、呼吸抑制を起こすから極力減らしたい」というニーズが高まりました。この流れの中で「オピオイドを使わずに痛みを抑え、しかも腸を動かす薬」として、古い薬であるリドカインが再発掘されたのです。
- なぜ効くのか?鎮痛を超えた3つのメリット
IVリドカインには、局所麻酔薬としての作用以外に、全身投与に特有のメリットがあります。
① 強力な抗炎症作用(Anti-inflammatory) 手術侵襲によって活性化する好中球の遊走や炎症性サイトカイン(TNF-α, IL-6など)の産生をブロックします。これが腸管のむくみや、肺の炎症を防ぐ中心的なメカニズムと考えられています[1]。
② 腸管蠕動の促進 交感神経反射を抑制し、腸管麻痺(術後イレウス)からの回復を早めます。これにより、「早期に食事が摂れる」「早く退院できる」というERASの目標達成に貢献します[2]。
③ 痛覚過敏抑制(Anti-hyperalgesic) 神経が痛みに対して敏感になる(感作される)のを防ぎ、術後のしつこい痛みを予防します[3]。
- 具体的な用法・用量:どう使うのか?
IVリドカインの投与方法は、施設や手術内容によって多少異なりますが、国際的なコンセンサス[4]や多くの臨床研究[3]で推奨されている標準的なプロトコルは以下の通りです。
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投与フェーズ |
投与量 |
ポイント |
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① 初回ボーラス |
1.5 |
麻酔導入時に、10分程度かけてゆっくり投与します。急激な血圧低下や中毒症状を防ぐためです。体重は実測体重ではなく理想体重で計算することが推奨されます[4]。 |
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② 術中維持 |
1.5 – 2 |
初回投与に続き、手術終了まで持続静注します。 |
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③ 術後持続 |
1 - 1.5 |
施設や患者の状態によりますが、術後24時間まで継続することがあります。 |
安全使用のための注意点
中毒症状の監視: 初期症状として、耳鳴り、めまい、口周囲のしびれなどがあります。これらの兆候を見逃さないことが重要です。
禁忌: 重度の肝機能障害や心伝導障害(完全房室ブロックなど)のある患者には原則禁忌です。
他剤との併用: 神経ブロックなど他の局所麻酔薬と併用する場合は、総投与量に注意し、中毒リスクを避ける必要があります。国際コンセンサスでは、IVリドカイン中止後、少なくとも4時間は他の局所麻酔薬の投与を控えることが推奨されています[4]。
- 「効く手術」と「効かない手術」:PROSPECTガイドラインの視点
すべての手術に漫然と使えば良いわけではありません。手術別の術後疼痛管理ガイドラインであるPROSPECTでは、IVリドカインの推奨度は手術の種類によって大きく異なります。
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手術の種類 |
PROSPECTの推奨度 |
理由・背景 |
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開腹大腸手術 |
推奨 |
硬膜外麻酔が使用できない場合の代替として推奨されています[6]。 |
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腹腔鏡下大腸手術 |
推奨なし |
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胸腔鏡手術(VATS) |
推奨なし |
2022年のガイドラインでは、鎮痛効果に関するエビデンスが不十分として推奨されていません[8]。しかし、近年の肺合併症予防に関する研究[5]により、今後見直される可能性があります。 |
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開腹前立腺摘出術 |
推奨 |
開腹手術においては推奨されています[9]。 |
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推奨なし |
オピオイド削減効果が限定的であるため、推奨されていません[10]。 |
このように、PROSPECTでは特に開腹手術において、硬膜外麻酔が使えない場合の「次の一手」として位置づけられています。一方で、腹腔鏡手術や胸腔鏡手術では、まだその地位は確立されていません。
5.安全性の再評価
IVリドカインの有効性が広く認知される一方で、2025年頃からその普及に伴う局所麻酔薬中毒(LAST)のリスクが、専門家の間で改めて警鐘が鳴らされています。特に、過量投与や長時間投与は中毒のリスクを高めるため、国際コンセンサス[4]で示された用法・用量を遵守し、中毒の初期症状(耳鳴り、口周囲のしびれ等)の監視を徹底することが、これまで以上に重要視されています。
まとめ
IVリドカインは、もはや「硬膜外麻酔が失敗したときの代打」ではありません。「炎症をコントロールし、合併症を減らすための攻めの薬」として、特に開腹手術での地位を確立しています。
その歴史は古いですが、ERASとオピオイド削減という現代的なニーズによって再評価され、今や周術期管理に欠かせない薬剤の一つとなっています。ただし、その使用にあたっては、最新のガイドラインと安全性に関する知見に基づき、適切な患者に適切な用法で用いることが不可欠です。
参考文献
[1] Hollmann MW, Durieux ME. Local anesthetics and the inflammatory response: a new therapeutic indication? Anesthesiology. 2000;93(3):858-75.
[2] Weibel S, et al. Continuous intravenous perioperative lidocaine infusion for postoperative pain and recovery. Cochrane Database Syst Rev. 2018;6(6):CD009642. [3] Dunn LK, Durieux ME. Perioperative Use of Intravenous Lidocaine. Anesthesiology. 2017;126(4):729-737.
[4] Foo I, et al. The use of intravenous lidocaine for postoperative pain and recovery: international consensus statement on efficacy and safety. Anaesthesia. 2021;76(2):238-250.
[5] de la Gala F, et al. Effect of intraoperative paravertebral or intravenous lidocaine infusion on postoperative complications and inflammation after lung resection surgery: a randomised controlled trial. Br J Anaesth. 2025;134(1):134-143.
[6] Uten T, et al. Pain management after open colorectal surgery: An update of the systematic review and procedure-specific postoperative pain management (PROSPECT) recommendations. Eur J Anaesthesiol. 2024;41(5):337-350.
[7] Lirk P, et al. PROcedure-SPECific postoperative pain management guideline for laparoscopic colorectal surgery: A systematic review with recommendations for postoperative pain management. Eur J Anaesthesiol. 2024;41(3):198-218.
[8] Feray S, et al. PROSPECT guidelines for video-assisted thoracoscopic surgery: a systematic review and procedure-specific postoperative pain management recommendations. Anaesthesia. 2022;77(3):311-325.
[9] Lemoine A, et al. PROSPECT guidelines update for evidence-based pain management after prostatectomy for cancer. Best Pract Res Clin Anaesthesiol. 2021;35(4):543-554.
[10] Roofthooft E, et al. PROSPECT guideline for elective caesarean section: updated systematic review and procedure-specific postoperative pain management recommendations. Anaesthesia. 2021;76(5):665-680.