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さぬちゃんの麻酔科医生活


「Aラインがマンシェットより低い?」 プロポフォール+レミフェンタニル麻酔で“ポパイ現象”が消失する理由

手術室で、こんな「逆転現象」に遭遇したことはありませんか?

「導入前(覚醒時)は、Aライン(橈骨動脈圧)の方がマンシェット(上腕血圧)より高かった。 しかし、TIVAで麻酔が安定した途端、Aラインの方が低くなってしまった……」

「回路がダンピングし(なまっ)ているのかな?」「ゼロ点がずれた?」 そう疑ってフラッシュしても、波形は鋭利で正常。それでもマンシェット(NIBP)は110 mmHgあるのに、Aライン(IBP)は90 mmHgしかない

実はこれ、機器の不具合ではなく、生理学的な「ポパイ現象」の消失と、血圧測定法の特性が組み合わさって起きる必然的な現象なのです。

そこで、プロポフォールとレミフェンタニルによる全身麻酔中に起きるこの「血圧逆転」の謎について考察します。

1. そもそも「ポパイ現象」とは?

Popeye phenomenon(ポパイ現象)とは、「上腕(二の腕)の血圧よりも、前腕(橈骨動脈)の収縮期血圧の方が高くなる現象」のことです[1]。 アニメのポパイが、上腕(力こぶ)よりも前腕(肘から先)が太く発達していることに由来して名付けられました。

なぜ覚醒時は「末梢」の方が高いのか?

健康な成人の覚醒時において、動脈圧は心臓から末梢へ向かうにつれて収縮期血圧が高くなります(末梢脈波増高:Peripheral Pulse Amplification)。 これは、末梢に行くほど血管壁が硬くなることに加え、末梢血管抵抗によって跳ね返ってきた「反射波」が、心臓からの前進波に乗っかる(加算される)ことで生じます。

かつてはこの現象が「測定誤差ではないか?」と疑われ、"Fictional Popeye phenomenon"(架空の現象)と揶揄された歴史もありましたが、2019年のArmstrongらの研究により「覚醒時は橈骨動脈圧が上腕動脈圧より平均して高く、時には15mmHg以上の差がある」とが実証されました[2]。

つまり、「覚醒時は Aライン > マンシェット」となるのが生理的には正常なのです。

2. なぜ、ポパイ現象は麻酔中(プロポフォール+レミフェンタニル)に消失するのか?

では、なぜTIVA(全静脈麻酔)中にはこの関係が崩れ、逆転してしまうのでしょうか。 その犯人は「血管拡張」です。

① メカニズム:反射波の消失

脈波増高(ポパイ現象)は、血管の「張り」と「反射」によって維持されています。 しかし、プロポフォールとレミフェンタニルを使用した麻酔では以下のことが起こります。

  1. 強力な血管拡張: プロポフォールの血管平滑筋弛緩作用と、レミフェンタニルの交感神経抑制作用により、体血管抵抗(SVR)が低下します。
  2. 反射波の減弱: 血管が土管のように拡張すると、壁からの「跳ね返り(反射波)」がなくなります。
  3. 増幅の消失: 結果として、手首(橈骨)での血圧のかさ上げ効果がなくなり、橈骨動脈圧は中枢(大動脈)の圧と同レベルまで低下します。

de Witらの研究では、プロポフォール麻酔が末梢血管抵抗を低下させ、動脈圧を用量依存的に低下させることが示されています[3]。この強力な血管拡張作用こそが、脈波の「反射」を減弱させ、覚醒時に見られた脈波増幅(ポパイ現象)を消失させる直接的な原因となるのです

② 逆転の決定打:マンシェットの過大評価

さらに厄介なのが、マンシェット血圧計(NIBP)の特性です。 オシロメトリック法(自動血圧計)は、低血圧時や血管抵抗低下時に、実際の動脈圧よりも数値を高く表示する(過大評価する)傾向があります[4]。

  • Aライン (IBP): 血管拡張を正直に反映して数値が下がる(ポパイ現象消失)。
  • マンシェット (NIBP): アルゴリズムの特性で高めの数値を出す。

この2つが同時に起こるため、「Aラインの方が低い」という逆転現象が完成するのです。これをOccult Hypotension(隠れた低血圧)と呼びます。

3. 臨床での正解はどっち?

結論:波形に問題がなければ、低い方の値(Aライン)を信じるべきです。

マンシェットの数値を見て「血圧は保たれている」と安心していても、実際の臓器灌流圧(Aライン/IBP)は危険域にある可能性があります。

Dauvergneらの最新の研究(2024)でも、TIVA中の患者においてNIBPはIBPよりも有意に高く表示され、低血圧を見逃すリスクが高いことが警告されています[5]。

麻酔導入後にAラインとマンシェットの乖離が生じた場合、安易に「Aラインがおかしい」と疑う前に、「血管拡張によってポパイ現象が消え、真の血圧が露呈した」と捉え、循環作動薬の使用や輸液負荷を検討するのが安全な管理になると思います。

【引用文献リスト】

  1. Adji A, O'Rourke MF. Brachial artery tonometry and the Popeye phenomenon: explanation of anomalies in generating central from upper limb pressure waveforms. Journal of Hypertension, 2012;30(8), 1540–1551. 
    ポパイ現象という言葉の起源と、当初は懐疑的であった議論についての文献
  2. Armstrong MK, et al. Brachial and Radial Systolic Blood Pressure Are Not the Same: Evidence to Support the Popeye Phenomenon. Hypertension. 2019; 73(5), 1036–1041.
    覚醒時において橈骨動脈圧が上腕動脈圧より有意に高いことを実証した重要文献

  3. de Wit F, et al. The effect of propofol on haemodynamics: cardiac output, venous return, mean systemic filling pressure, and vascular resistances. Br J Anaesth. 2016;116(6):784-9.
    プロポフォール麻酔が末梢血管抵抗を低下させ、動脈圧を用量依存的に低下させることが示されています

  4. Wax DB, et al. Invasive and concomitant noninvasive intraoperative blood pressure monitoring. Anesthesiology. 2011;115(5):973-8.
    術中においてNIBPはIBPよりも低血圧を過小評価=数値を高く出す傾向があることを示した文献

  5. Chapalain, X, et al. Continuous non-invasive vs. invasive arterial blood pressure monitoring during neuroradiological procedure under general anesthesia. Perioperative Medicine. 2024;13(1), 42.
    TIVA麻酔中においてNIBPとIBPの乖離が頻発し、NIBPは低血圧を見逃しやすいことを示した最新報告