パラダイムシフトが起こった周術期血圧管理
術中低血圧(Intraoperative Hypotension: IOH)は、もはや「よくある麻酔合併症」ではなく、「避けられる重篤な有害事象」として認識されるべき時代に突入しています[1,2]。
近年の大規模観察研究により、MAP<65 mmHgの「深さ×時間」が急性腎障害(AKI)や術後心筋梗塞(MINS)と用量反応的に関連することが明確となりました[3,4]。これにより、従来の「血圧が下がったら対処する」という受動的管理から、「低血圧を起こさない・長引かせない」能動的管理へのパラダイムシフトが加速しています。
INPRESS試験では、術前血圧の±10%内を目標とした個別化血圧管理により、主要臓器障害の複合エンドポイントが有意に減少することが示され[5]、低用量ノルアドレナリン(NE)の早期持続投与は「輸液は節度、圧はNEで維持する」というERAS(Enhanced Recovery After Surgery)の理念とも完全に合致します[6]。
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血管アクセスの新常識:2025年ガイドラインの「15の教え」
2025年に発表された「Association of Anaesthetists guidelines: safe vascular access 2025」は、従来の「とりあえずルートを取る」から、患者の「生涯にわたる静脈の健康」(Lifetime Vein Health)を最優先する包括的なアプローチへと大きく舵を切りました[7]。
15の包括的リコメンデーションの中でも、特に注目すべきは以下の項目です:
プロセス・チーム
R1/R2:専門チーム体制
- 血管アクセス専門チームを確立し、迅速な対応を保証する重要業績評価指標(KPI)を設定すること
- 麻酔科医は多職種連携を主導するのに適任です
R3/R4:包括的ケア
- 長期的な静脈の健康維持を目指した包括的なアプローチを徹底すること
- DVA(困難な静脈アクセス)患者は専門チームに早期に関与させるべきです
挿入・デバイス
R5:安全基準
- 血管アクセス手技に際し、ガイドワイヤー遺残防止策を含む局所安全基準(LocSSIPs)を組み込むこと
R6:超音波ガイド穿刺
- 中心静脈アクセスや、適用可能な他の部位に対しては、リアルタイム超音波ガイドを常に利用すること
- 超音波ガイド下で末梢血管カニュレーションを行う場合は、浸潤損傷リスク軽減のため、短針よりも長い末梢カテーテルまたはミッドラインを検討すること
R7:3分の1ルール
- 「3分の1ルール」を理想とし、カテーテルが血管断面積の3分の1を超えないようにすること
- 刺激性の薬剤(ノルアドレナリンなど)を投与する場合は、血管壁損傷を最小限に抑えるために、血液希釈比を3:1以上(血液3に対して薬剤1)に保つこと
R8:CVC先端位置
- 上部体幹の中心静脈カテーテル(CVC)先端は、最大血流と希釈を確保するため、上大静脈の下3分の1、房室接合部、または高位右心房に配置すること
特殊な管理
R11:CKD患者での静脈保護
- 腎代替療法が必要な慢性腎臓病患者では、将来の動静脈瘻造設に必要となる静脈(特に尺側皮静脈、橈側皮静脈)の保護が極めて重要です
R13:末梢昇圧薬投与
- ノルアドレナリンなどの強力な末梢血管収縮薬は、適切に留置された短末梢カテーテルから、施設プロトコルに従い希釈された濃度(例:16μg/mL)、適切な部位・ゲージ・頻回観察の下で短時間(多くの施設は24−48時間以内)に限り容認される
- この際、厳格なプロトコルに従う必要があります
トレーニング
R14/R15:教育・研修
- すべての医療従事者に対し、カテーテル挿入後管理、メンテナンス、早期合併症認識に関するトレーニングを必須とすること
- 専門的な血管アクセス訓練制度を開発すること
R13の革新性は、これまで「禁忌」とされがちだった末梢からの昇圧薬持続投与を、適切な条件下で積極的に容認した点にあります。これにより、中心静脈確保を待つことによる「昇圧の遅れ」を防ぎ、IOH暴露時間の最小化が可能となります。
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末梢静脈からノルアドレナリンを投与する際の「超」重要チェックリスト
ガイドラインR13でも明記されている通り、末梢からの昇圧薬投与は血管外漏出のリスクを最小限に抑える厳格なルールを守る必要があります[7,8]。
以下に実践的なチェックリストを示す
# 1. 部位の選定
手背や足背の小さな静脈は絶対NG!
穿刺部位は、前腕から肘窩(肘の内側)の太く流量の多い静脈を選択すること[9,10]。肘窩より中枢側にある太い静脈は、血液による希釈効果が高まり、血管壁への刺激を大幅に軽減します。
可能な限り20G以上の太いカテーテルを使用し、確実な静脈還流(逆血)が得られることを確認してください。
# 2. 濃度と希釈比
血管壁への刺激を減らすため、できるだけ薄い低濃度(例:4 mg/250 mL = 16 μg/mLを末梢上限の目安)を使用し、希釈比3:1以上を保つこと[7,11]。
この「3:1ルール」は、血液3に対して薬剤1の割合で希釈されることで、血管内皮への直接的な薬理学的損傷を最小化します。
注)臨床現場では16-20 µg/mLの範囲で調整可能。20 µg/mL(1mg/50mL)は調製の利便性と安全性のバランスから実用的な濃度として許容される
# 3. 期間と用量
短期間(24時間未満)の投与に限定すること[8,12]。
中心静脈確保までの「つなぎ」として考え、高用量(例:0.2 μg/kg/min以上)が必要な場合や、24時間以上投与が予想される場合は、速やかに中心静脈ルートへ移行させること[11]。
# 4. 監視体制
患者が痛みや違和感を報告できる状態であることを確認し、穿刺部を1〜2時間ごとに頻繁に視触診して確認すること[8,10]。
発赤、硬結、疼痛、浮腫といった血管外漏出の初期兆候を見逃さないことが重要です。
# 5. 血管外漏出時の対応
漏出が疑われたら、直ちに投与を中止し、可能なら残存薬液をカテーテルから吸引後、カテーテルを抜去します[12]。
フェントラミン(α遮断薬)5−10 mgを10 mLの生理食塩水で希釈(0.5mg/mL)し、12
時間以内に漏出部位周囲数カ所に分散注射する[8]。
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なぜフェニレフリンよりノルアドレナリンなのか?
術中低血圧を是正する際、ノルアドレナリン(NE)がフェニレフリン(PE)よりも持続投与において優位性が高い理由は、主にその薬理作用の違いにあります[13,14]。
薬理作用の比較
| 薬剤 | 主な作用 | 心臓への影響 | 持続投与時の特徴1 |
| フェニレフリン (PE) |
選択的α₁作用 | 強いα₁作用により血管収縮 →血圧急上昇→反射性徐脈 →心拍出量(CO)一回拍出量(SV)低下 |
ボーラス投与に適す 持続投与では心機能抑制リスク |
| ノルアドレナリン (NE) |
α作用メイン +弱いβ作用 |
β作用により心収縮力・心拍数を比較的保持 →心拍出量低下を防ぐ →徐脈発生がPEより少ない |
持続投与に最適、 微量滴定で精密管理可能 |
半減期の長いPEより短いNEの方が持続投与に向いている!
持続投与における優位性の詳細解説
① 心機能の維持
麻酔薬や脊椎麻酔により末梢血管抵抗が低下した状態では、PEは血管を収縮させますが、反射性徐脈による心拍出量の低下が問題になりやすいです[15]。
これに対し、NEは弱いβ作用により心拍出量を保ちやすいため、低用量で持続投与することにより、低血圧を予防しつつ、心臓への負担を抑えた安定的な循環維持に優れています[13]。
② 冠灌流圧の維持
心筋灌流(冠血流)は、主に拡張期血圧(dBP)によって規定されます[16]。
もしPEが徐脈を引き起こし心拍数を低下させると、拡張期時間が長くなりすぎる場合があります。一方で、NEは心拍出量と心拍数を適切に維持しやすいため、低血圧を回避しながら適切な冠灌流圧を保つのに適しています。
③ 微量持続投与による精密な血圧管理
NEは微量持続投与(予防的持続)による素早い効き目と切れの良さから、目標血圧を正確に維持するための細かな滴定管理に適しています[5,17]。
PEはボーラス投与も可能ですが、持続投与においては心拍出量低下を引き起こすリスクがあるため、低用量NEの予防的持続投与が「下げない管理」のパラダイムシフトを推進しています。
④ ERAS/GDFTとの整合性
NEの早期持続投与は、輸液だけで血圧を上げようとする過剰輸液を回避し、「輸液は適正に、圧はNEで維持する」という最新のERAS/GDFTの流れとも完全に整合性が取れています[6]。
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エビデンスに基づく周術期血圧管理
IOHの定義と臓器障害リスク
近年の大規模研究により、MAP≤65 mmHgの発生率は19.3%、≤55 mmHgは7.5%であり、IOHは術後の心血管系合併症(MACCE)の推定オッズ比をそれぞれ12%、17%、26%増加させることが明らかになりました[3]。
「深さ×時間」の概念
IOHによる臓器障害リスクは、「どれだけ低いか(深さ)×どれだけ続くか(時間)」の積で規定されます[1,4]。
MAP≦65 mmHgが最も一貫して有害事象と関連し、MAP≦55 mmHgでは短時間でもMI/MINSやAKIのリスクが上昇します[18]。
低用量ノルアドレナリン持続投与の有効性
INPRESS試験では、個別化群(術前血圧±10%を目標とした低用量NE持続投与)が標準群と比較して、主要複合アウトカムを38.1% vs 51.7%(相対リスク0.73、95%CI 0.56-0.94、P=0.02)と有意に改善しました[5]。
特に腎機能障害と意識障害で顕著な改善が認められました。
過剰輸液回避の重要性
RELIEF試験により過度な輸液制限がAKI増加と関連することが示され[19]、現在はバランス晶質液+必要最小限のボーラス+低用量NEによる圧サポートという戦略が標準的となっています[6]。
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まとめ:実践への応用
末梢低濃度ノルアドレナリンの位置づけ
末梢からの低濃度NE投与は、中心静脈確保までの「つなぎ」ではなく、IOH予防のための積極的な初期治療選択肢として位置づけるべきです[7,20]。
適切なプロトコルに従えば、重篤な合併症は稀であり、血圧安定化による臓器保護効果の方がリスクを大きく上回ります。
安全な投与のための3つのポイント
1. 適切な血管選択:前腕〜肘窩の太い静脈、20G以上のカテーテル
2. 厳格な濃度管理:16-20 μg/mL以下、希釈比3:1以上
3. 頻回モニタリング:1-2時間ごとの穿刺部確認、漏出兆候の早期発見
中心静脈ルートへの移行基準
以下のいずれかに該当する場合は、速やかに中心静脈ルートへの移行を検討してください[8,11]:
- 投与開始から24時間経過
- 0.2 μg/kg/min以上の高用量が必要
- 血管外漏出の兆候
- 長期間(24時間以上)の投与が予想される場合
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おわりに
周術期血圧管理の新たなスタンダードとして湧き上がった、血管を守りながら低血圧を高速で阻止するアプローチが、患者の予後改善に直結することが大きく寄与すると考えます。
2025年ガイドラインの登場により、末梢からの低濃度ノルアドレナリン投与は「禁忌」から「推奨」へと大きく転換しました。適切なプロトコルと厳格なモニタリング体制のもとで、この革新的なアプローチを日常診療に取り入れることで、より安全で質の高い周術期管理が実現できると確信しています。
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