1年に1回ぐらいはここに来る。大抵は、連休か夏休みで冬に訪れることはない。「恐るべきさぬきうどん」で世界一のさぬきうどんと謳われた店、山越(やまごえ)である。はじめて訪れてから、20年近くなる。我が家のもう一人の麻酔科医の実家の近くの宮脇書店で「恐るべきさぬきうどん」(ホットカプセル)を見つけて、帰省のたびにさぬきうどんツアーを敢行していた。前回、当ブログで話題にしたのは2008年で、それからも何度も足を運んでいる。山越は、いわゆるS級指定店である。S級指定店とは、10店舗あり、恐るべきさぬきうどん第3巻でプロの客が選んだ10軒のうどん屋のことで、山越(綾上町) 、山内(仲南町)、宮武(琴平町) 、谷川(琴南町)、あたりや(高松市)、長田(満濃町)、山下(善通寺市)、田村(綾南町) 、彦江(坂出市) 、蒲生(坂出市)が含まれる。
山越は、「かまたま」の発祥の地として知られているが、管理人が好きなのは冷たい麺を冷たい出汁でいただく、ひやかけである。つけでいただくこともある。この写真は、オリジナルのかまたま(釜揚げ卵うどん)である。そもそも、かまたまは山越のメニューにはなかった。さぬきうどんは、ゆでた後、冷水でしめて完成なのである。従って、釜揚げの段階でどんぶりに移して卵を絡めるというのは未完成の状態で食べているということである。まあ、結果的には色々な食べ方があるというのが示されたおかげで全国区になったのだから、それはそれでよいのであろう。かまたまがなければ、山越は、さぬきうどんの聖地にはならなかっただろう。かまたまは、サッカーチームの名前(カマタマーレ讃岐オフィシャルサイト)にも採用され、香川一丸となってかまたまうどんを広報している。
このスペースは、山越に行き始めた頃は新しくできた駐車場であった(それまでは駐車場はなかった)。それが、いまや、テーマパークのように列ぶスペースとして活用されている。おまけに警備員や麦わら帽子を被った説明員も配置されている。
ぐるぐる廻って列ぶスペースを抜けると、山越の入り口にまっすぐに列ぶ人の列が見える。AM9:00開店のためそれまでに列んでいるのは当然として、この直線の列に出てきたのは、並び始めてから約30分後であった。ここから入り口までは約30分かかる。駐車場に8時40分に到着して、注文できたのは9時30分をすぎていた。左手に見えるのが山越の入り口で、道路の反対側に見えるのが助安集会所(元の駐在所)である。
この助安集会所は、管理人が山越に通い始めた頃(おそらく1996年ごろ)には駐在所だった記憶がある。入り口の屋根の全面に駐在所のマークをはずした形跡が残っている。
入り口から中に入り、注文するところまでは2-3mである。メニュー表は、写真入りの看板に書き替えられている。かつては、白い板にマジックで手書きで書かれていて、いかにも地元のうどんや(製麺所)という趣があった。
管理人が注文した、ひやかけ(大)である(麺のサイズは、小、大、3玉、4玉、、、という呼び方が一般的で、2玉とは言わない)。口の中に入ると、表面はつるっとしてやわらかいのに、噛むとコシがあるというのが讃岐うどんの王道である。だしはいりこのうすくちで、麺とともに、水のうまさが引き出されている。つけの場合は、めんを純粋に楽しむ。かけのばあいは、だしとめんのハーモニーを楽しむのである。ふだん、広島では○○製麺というチェーン店のさぬきうどんを食べているが、それとはまったく異なる次元であることを再認識した。かまたまは、もう一人の麻酔科医が注文していたが、それも大満足の食感であることを付け加えておく。
製麺所であるので、日曜休み、9時~13時30分まで。
さぬきうどんツアーは楽しい。
参考文献
■山越 元祖釜玉誕生のルーツを探る! | 綾川マニアック 釜玉の最初は? 羽床上駐在所説(麺通団田尾氏の説)とは
■山越 元祖釜玉誕生のルーツを探る! | 綾川マニアック 山越 釜玉うどん発祥 その真実が今あかされる!
■山越 元祖釜玉誕生のルーツを探る! | 綾川マニアック 釜玉ヒストリー
■さぬきうどん究極アプリ「Udooon!」とうどんを食べに行こう! - トラベル・ジェーピー
■琴参バス | 本場讃岐うどん名店と名所をバスで巡るうどんグルメ旅!!
恐るべきさぬきうどん〈第4巻〉―誰も出るとは思っていなかった
- 作者: ゲリラうどん通ごっこ軍団
- 出版社/メーカー: あわわ
- 発売日: 2002/09
- メディア: 単行本
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